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エゴイスト(映画ver.)

松永大司監督作品、鈴木亮平主演の「エゴイスト」を見てきた。

エッセイスト高山真氏の自伝的著書である同名小説を映画化したこの作品は、ポスターのキービジュアルから分かる通り、男性同士の恋愛を描いていて、前半は浩輔と龍太の美しくも生々しい耽美な世界を堪能でき、後半は残酷なまでの愛の鋭さと、運命の無慈悲さが鑑賞者の心を深く突き刺していく。

この作品、YouTubeで予告の映像を見た時からずっと気になってて、ムビチケを購入するほど見に行くのを楽しみにしていた。

何故か一日一回、しかも朝早い時間帯の公開しかしてなかったから、せっかくの休日だと言うのに私は早起きして、映画館に向かった。

何も持たず、ただ映画が始まる瞬間を待ち続けた。

以下感想(ネタバレあり)


エゴイストは誰か?

この映画は、主人公浩輔がのちの恋人となる龍太に出会い、恋人になって、別れて、また恋人になり、そして突然の永遠の別れを迎え、最後その恋人の母親である妙子の面倒をみる所をまでを描いている。

では、映画の題名にもなっているエゴイストとはなんだろうか?

ちょっと辞書を引っ張り出してみる。

【エゴイスト】利己的な人。利己主義者。他人の被る不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動をすること。

つまり、言葉を選ばずに簡単に言うと自分さえ良ければ他人がどうなろうと知ったこっちゃない、と言う人だ。
私はこの説明文だけ見ると、エゴイストにはかなりネガティブなイメージを持たざるを得ない。

じゃあ、この作品におけるエゴイストは一体誰のことを指しているのだろうか?

主人公の浩輔?

浩輔は、人一番人に対しての思いやりが強く、気遣いもでき、繊細な言葉遣いをする人。
誰に対してもそうだが、特に自分が愛情深く思ってる人に対しては、それがよく現れていた。

恋人の龍太に売りを辞めてほしいから「僕が買ってあげる」と月10万円を渡し、龍太の母親が入院したと知ればお見舞金を快く渡し、通院のための車まで購入してしまう。
このお金を出す行為に対して、浩輔は見事なまでに躊躇いがない。
確かに浩輔はそれなりの職に就いてるし、高級マンションに1人で住める程稼いでいるとは思うけど、だからと言ってパトロンになれるほどの高額所得者ではない。
ただのサラリーマンだ。
龍太が亡くなった後も、残された母親の妙子にお金を援助し、身の回りの世話を献身的に行なっていた。
そんな浩輔が龍太や、その母親の妙子にしていたことは彼のエゴなのか?

私の答えは、部分的にはYESであったとしても、最後にはNOと言いたい。

浩輔は、本当に愛に溢れた人だった。
14歳の時の母との永遠の別れを経験した浩輔は、底知れぬ寂しさと悔しさを心のうちに抱えていながら、必死に生きている。
だから、自然と人の心に寄り添う優しさを持ち合わせている。
それを象徴するシーンとして、浩輔が龍太の荒れた手に軟膏を塗ってあげるところ。
売りの仕事を辞めた代わりに、龍太は朝は肉体労働、夜は皿洗いのバイトをして疲れ果ててしまい、せっかく愛する恋人と一緒にいるのに、ソファで眠ってしまう。
そんな龍太に対して、文句を言うことは絶対にせず、むしろ相手を起こさないようにそっと、そして優しく傷口に軟膏を塗り込んでいく浩輔の優しさは正しく愛ゆえのものだ。
浩輔は龍太が死んだ時、そして妙子が末期の癌だと分かった時、自分のせいで龍太が死んでしまったのではないか、龍太が生きていれば妙子の病状がここまで悪くなることはなかったのではないか、自分のやってたことはただの自己満足じゃないか、と自分を追い詰めていた。
でも、浩輔が龍太に向けていたものは自分の欲望ではなく、紛れもなく愛だ。
それも、見返りを求めない無性の愛。
こんなに尊く高貴な感情を、なんの戸惑いもなくストレートにぶつけることができる浩輔を、誰がエゴイストなんて言えようか?

ただ、妙子に対してはどうだろう?
病弱な妙子に、かつての自分の母親を重ね、あの時できなかった母親への親孝行を必死にやっているように見えた。
それでも、お金の援助をするところまでは、まだ理解できた。
でも、「一緒に住みませんか?」と妙子に言った時、彼は明らかに妙子のパーソナルスペースに入りすぎていた。
妙子に断られて我に返った浩輔をみて、彼は自分が出来なかったかつての夢を無理やり叶えようとしたんだ。
もう、触れ合うことのできない母親に妙子を重ね、彼女を大切にすることで自分の寂しさを埋めようとしたんだ。
これは紛れもなく彼のエゴイズムが発揮されたシーンだと感じた。

ただそのエゴイズムさえも、やがては本物の愛に変換した。

献身的に彼女の世話をすることで、妙子の寂しさと苦しさを包み込み、それは彼女にとっても救いになった。
映画のラストで、病床に伏す妙子が浩輔に「まだ帰らないで」と言って呼び止めるシーン。
2人が手を取り合ったあの瞬間もまた、愛に溢れる場面であった。

素晴らしい演技が心に突き刺さる


この映画は男性同士の恋愛については描かれているが、実際はその性別を超え「愛とは何か?」というテーマを訴えかける作品で、人を愛することの難しさと尊さを描いている。

それは、主役を務めた鈴木亮平さんと相手役の宮沢氷魚さんの演技力の高さと相性の良さ、その脇にドリアンロロブリジータさんをはじめ当事者たちが醸し出すリアルな雰囲気から作り出せたものだと思う。

映画が始まって、鈴木亮平の最初の一言「そうですね〜」で、「あ、この人ゲイだ」ってすぐに分かるほど浩輔が憑依してたし、龍太のピュアさは宮沢さんの人柄と誠実さから成されたものだと思う。

本当に役者たちの演技が自然で、それ故に本当に愛し合ってるようで「こんなに愛しあえる人がいるなら、それが異性でも同性でもなんて幸せなことなんだ」と、自分のパーソナルな部分にブッ刺さってくるとても良い作品でした。

原作↓

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