東日本大震災 忘れられない泣ける話
自分の命と引き換えに多くの命を救った24歳の女性
宮城県北東部の南三陸町で、町役場の危機管理課に所属する遠藤未希さん(当時24)は、海に近い防災対策庁舎に勤務していた。
地震発生後、最大6mの津波警報が発令されると、防災放送を担当する遠藤さんは2階の放送室へ駆け込み、
「津波が予想されますので、ただちに高台へ避難してください」
と防災放送を始めた。
やがて津波が襲来し、庁舎が数メートル浸水した後も、アナウンスが止まることはなかった。
そして最後の4回では、「ただいま、宮城県内に、10メートル以上の津波が押し寄せています」と内容が変わった。
この時点で、たとえ3階建て庁舎の屋上に避難しても津波に呑まれると十分わかっていただろうが、遠藤さんはアナウンスを止めようとしなかった。
この様子を収めた動画をYouTubeで見ることができるが、そこではアナウンスの音声に重なる「未希ちゃん、上がって上がって」という同僚男性の声も録音されている。
たとえ自らが命を落とすことになろうとも、最後まで町の人々を救うために放送を続け、津波の犠牲となったのだ。
結局、津波は屋上の床上2mにまで達し、屋上に避難した職員の多くも津波に呑まれた。
このアナウンスにより、約1万人の人々が避難して助かったといわれるが、中にはアナウンスが「切羽詰まった声だったから」避難したという女性もいた。
役所の同僚によると、未希さんは非常に責任感が強い女性だったという。
こんな素晴らしい女性が、たくさんの命を救ったということ、深く胸に刻み、
ずっと覚えていたい。
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