「本の読み方 スロー・リーディングの実践」平野啓一郎

を読んだ。

2006年の本が2019年に文庫化されたもの。全然知らなかった。なんでか、忘れたけど、買って、届いて、読んだ。面白かった。

コロナ自粛期間中に出会ったことは大きかったかもしれない。映画館にも行けず飲みにも行けず人とも会えず家の中にいて、でもテレビをつける気にはなれなかった。流行りの配信ドラマとか観ていなかった映画を観ることになかなか気持ちを裂けなかった。なんでなのかは、よくわからなかった。そんな時にこの本を手にとった。

この本では速読や多読ではなく、精読や遅読を勧めている。それが深く、楽しい本の読み方であるからだ。本当にそのとおりだと思う。だが。

だがなかなかそれが出来ないのだ。若い頃から、多読とは言えないけれど、ちょこちょこ本を読んできて、いくばくか深く心に突き刺さったりいつまでも忘れられない本に出会ってきた身としては本の面白さを少しは知っているつもりだ。だ。けれど、とにかく遅いのだ僕は読むのが。

のめり込める本も限られている。のめりこむための助走(書き出しからその本が面白いとも限らない)も必要だったりする。でもある時、気持ちいいほどに、まだ熱さの残るゆで卵の殻が思いの外ツルツルと剥けるように、急にその物語世界やエッセイに入り込んではひとときも離れたくなくなるような出会いがふとやってくる。好きな作家がいないわけじゃないけれど、百発百中でもないし、いつまで経っても本との出会いは(というか大切な出会いというのはいつでも)出会い頭のものなのではないか。計算なんてできない。

一度出会えば深いが、出会うまで時間がかかる、出会ってしまうと抜け出せない。

そんな性格の人間が、映画や本や漫画や演劇や音楽や…を大量に知らないといけない、まずは知ってこそ全て始まるというような義務感に苛まれているというのがここしばらくの僕自身が自分にかけている呪いのようなもので。

この平野啓一郎の本は、そこから少しだけ気持ちを軽くしてくれる作用があった。

「いいから、大事だと思うものを、ちゃんと読め。楽しめ」

そのことを言ってもらって癒された。今日もたくさんの本を買ってしまった。(この本で紹介された「こころ」とか昔読んだけど忘れたからまた読もうとしているし「金閣寺」も読んでねえわというか色々面白そうだわ)積読が増えそうだ。けどいいからスローに読むことにする。ありがとう。




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