見出し画像

いちごミルクを食べながら

何十年かぶりに、朝食にいちごミルクを食べた。

安売りのいちごが2パックあって、そのうちの1パックをそのまま食べるかというところ、ふと「いちごミルク」の存在を思い出したのだ。もう1パックあるし、1パックは潰していちごミルクでも良いのではないかと思ってそうしてみた。なんて美味しい食べものなんだろ。うま。

記憶がたぐられて、実家にあった、いちごをつぶす時に使う突起のついたスプーンを思い出す。あれはいちごを潰すためだけのものだったのか?だとしたらそのことに改めて驚く。いや、あるんだろうけれど、それがかつての自分の日常の中にあったこと、そのことを今何十年かぶりに思い出していること、その一連に驚いている。

昔授業の片隅で聞いた話、なんだっけ、イヌイットは雪に関する言葉をたくさん持っているっていう話だったか。見分けなくてはならない、区別するべき必要に応じて言葉は生まれるみたいな話。いちごを潰すためだけに生まれたスプーンがある日常に何十年かぶりに出会ったのだ。おおげさな。いやでもそういうこと。

食べることがあまりにも好きな僕は、普段から食べ物やお酒やスイーツやその他さまざまな食べ飲みに関して、ものすごい労力もお金も時間も使ってきていたんだけれど、こと料理はしてこなかった。家にいないし、家でご飯を食べる時間をそもそも取ってこなかった。ごくごくたまに料理をするときには、性格上、レシピどおりにやりたくなって、書いてある通りに材料を揃えたくなる。揃っていないと、材料が手に入らないとやる気がなくなるみたいな面倒くささだ。でもそれ性格だからな。あらかたその通りに揃ったら時間をかけてその通りにやりたい。それはそれで悪くないけれど、それって日常には組み込めないよな。

コロナ禍になって、そんな面倒くささも許容できるくらい時間ができて、料理する機会も増えた。結果、料理に関する、買い物に関する、スーパーに関する思考と言葉をたくさん手に入れた僕は、いちごミルクを食べたいと思ったのだった。午後からはモツ煮を作るための方法を考える。いくつかの、コロナ禍における新しい発見のひとつ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?