大相撲力士について記憶をあいまいにたどってみる~舞蹴~
令和六年五月場所で二子山部屋所属の力士であった舞蹴は引退しました。
彼の四股名をはじめて目にしたとき、きっと米国出身で本名のマイケルを漢字にしたんだな、と思いました。
で、本名が林 舞蹴(はやし まいける)。
そこからなぜか興味をそそられ、行き着いたのがYouTubeの二子山部屋チャンネルでした。
@futagoyama-sumofood
動画内の舞蹴はとてもいいやつでした。
二子山親方(元大関・雅山)の古参弟子として、かつては部屋初の関取を目指していた時期(記事)もありました。
しかし、私が舞蹴に気づいたときには、同い年の弟弟子である狼雅がすでに十両~幕内へと昇進していました。
YouTubeの中では、ちゃんこを作り後輩の面倒見がいい舞蹴の姿と、関取として他の誰よりも先に給仕をしてもらいちゃんこを食べはじめる狼雅の姿が印象的です。
これは舞蹴引退場所で十両昇進を決めた生田目についても言えることで、幕下上位に定着し関取昇進も時間の問題とされていた後輩の生田目が狼雅のすぐ後にちゃんこを食べることができるのです。
番付がすべてである角界の厳しさであり、逆にやりがいでもあるのです。
YouTubeに話を戻して。狼雅の幕内昇進の回では、舞蹴の作ったカレーを美味しそうに頬張る狼雅が「これ、舞蹴がつくったの?さすがやな」と声をかけ「そやろ」と舞蹴が返事をしました。二人のなんとも言えない間柄が感じられる名シーンです。
そんなナイスガイの舞蹴は、部屋の新年会で自ら告白しているように、優しすぎる気持ちが仇となり幕下でのシビアな闘いに耐えられませんでした。
「体力の限界……気力もなくなり引退することになりました」とは、かの大横綱・千代の富士が引退会見で涙ながらに発した名セリフですが、舞蹴も同じような気持ちだったことでしょう。
まだ二十代半ばです。二子山部屋での経験がこれからの人生に多いに役立つことでしょう。期待します。
最後になりますが、舞蹴はハーフです。
※冒頭の画像はAIイラストくんが作成した「大相撲力士の舞蹴」です。
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