再び初めまして、中園さん。

(黒沢聖覇|タイランドビエンナーレ・コラート2021コ・キュレーター、東京藝術大学)

 ANB Tokyoで開催中の中園孔二展について執筆依頼をいただいた。わたしはこれまでモスクワビエンナーレを含む国内外の展覧会における中園作品の展示、キュレーションに関わり、自身の修士論文でも中園孔二の批評的文脈を確立するべく尽力した。また幸いなことにそれ以降様々な機会をいただき、何度も中園作品について、文章を執筆してきた。

 しかし、きっと多くの鑑賞者がそうであるように、わたしもまた中園本人と面識がない。であるからこそ、彼の作品、スケッチ、本人や友人、関係者へのインタビューといった多くの一次資料を通して、彼の作品の持つ強度とその時代的重要性について考えてきた。彼が亡くなってまだ多くの月日が立っておらず、わたしのような若輩の考察や批評が熟成するにはまだまだ時間が必要であることは重々承知の上で、それでも半ば中園作品の研究者の一人であることを自負してきたつもりだ。

 だが、今回の文章は、「自由形式」でいいという。いまのわたしには、本展のいわゆる「レビュー」を執筆する強い義務もなく、彼の作品について、「論じ」なくてもいいという。感想程度でいいのなら、と思って二つ返事でお引き受けした。しかし、書いてみようとしてふと気づく。これはとても困る。彼の作品や彼自身に対して、キュレーターとして「批評的距離」とでもいうべきものを置かなくてよいならば、わたしはすぐさま彼のイメージの幽霊、作品たちに乗っ取られてしまう気がするのだ。これは、中園作品についての論文執筆を準備していた際、(本展で初めて一般公開されたような)スケッチブックを何冊も写真に撮り、それを整理し見つめ、作品と照らし合わせる作業を毎日夜通しで繰り返していたときに得た感覚と似ている。彼は「あちら」と「こちら」を猛スピードで行き来する。当時のわたしはなんとか「あちら」に持っていかれないようにするので必死だった。あるいは彼のイメージが「こちら」に侵食しすぎることを拒んだ。これは彼がしばしば残酷なシーンを描くといった安直な理由からではなく、中園作品と対面したときに起こる本能的かつ存在論的な不安によるものだろう。彼とわたしのあいだの境界を失い、彼の描く「顔」(自身の論考ではこうした彼の描くキャラクターを便宜的に「パペット」と読んでいる)は、彼であり、わたしであり、そしてそのどちらでもないものにいつでも変わるのだ。

 それでも飲まれることなく、これまで「中園孔二」について多少なりとも執筆して来れたのは、作品や彼の作家としての芸術的系譜を批評的にまなざそうという意地のようなもの、わたしが勝手に生み出したキュレーターとしての自己防衛のようなものが基盤としてあったからである。それを失うのであれば、わたしは中園孔二について文章を書きたくない。一人の普通の鑑賞者でいたい。つまり端的に、乗っ取られるのがおそろしいのである。とりわけ、本展タイトルの「すべての面がこっちを向いている」はとても印象的で良いタイトルだと思いつつ、わたしにとってはそのおそろしさを倍増するものでさえある。

 このようにぐるぐると考えて、やっぱり手に余るので依頼をお断りしようかと思ったところですぐに思い直す。もしかしたらこれはいい機会かもしれない。本展を通して久しぶりに出会った彼やイメージの幽霊と、もう一度対話をしてみるべきかもしれない。だからまた、わたしは彼について文章を書いている。

 本展の全体を通して、わたしはこれまで見たことのなかった彼の作品と、しかし見たことがないのにもかかわらず「再び」出会った。展示を通して、中園について多くの新しい発見があったというよりも、全く多種多様に見える作品のイメージのなかで、しかし「中園孔二」というひとりの作家の首尾一貫性をさらに強い説得力をもって見いだすことができた。彼は別に絵でなくてもいい、という。水難事故にあう直前のものであると考えられるという、砂を用いた異質な作品(おそらく未完成)でさえ、むしろそのことを示している。これはおそらく彼にとって「絵」として作品化される前段階の状態である。砂の粒感、質感と表出するイメージの境界を探り、今後の展開を模索するための単なる実験であって、彼自身はこれがひとつの作品として、人目につくとは思ってもいなかっただろう。

 4階で展示されていたスケッチや趣味的なオブジェクト、そして特に彼のインタビュー映像は、こうした感覚をより強くした。彼やインタビュワーの言葉の淀みまで、一言一句正確に字幕化した映像は、前述した「中園孔二」の首尾一貫性をよりよく描き出していて、わたしはあっけにとられた。彼の多動的な話し方、揺れ動きながら話し、話しては突然止まる語り口は、まさに彼の作品があらわす雰囲気やアンビエンスと表裏一体だった。こうした彼の独特の語り口は、一見彼のある種の天才神話を補強するように思える。けれどもわたしは逆の印象を持った。彼は感覚的ではあるが、ひとつひとつのジェスチャー(例えば、彼独自の概念を説明するときに手をぎゅっ、ぎゅっと握る)といった総合的な語り口を通して、自身の表現を説明する強固な理論的言語をすでに習得している(これは多くの美術学生が自分の作品をプレゼンテーションするため、訓練の末に得たものとは全く別種のものである)。正しい言い方であるかはわからないが、彼の感覚的な語りはほとんどすでに、彼の作品の批評としても大いに機能している。この驚異的なまでにぶれのない早熟な一貫性こそ、彼の作品がいまだに多くの人々を惹きつける理由であるだろう。彼は彼の幽霊や風景との対話の方法論を確立していたのである。彼の作品が見せる多種多様な変遷とは逆に、彼は意外にも、頑固な人だったのかもしれない。(わたしにそれを知るすべはないが。)

彼は一貫して中園孔二だ。
このように書いていて、ふとひとつの考えがよぎる。
もしかして、彼や彼の作品がわたしを乗っ取っとろうとしていたのではなく、むしろわたしがふらつきながらも勝手に彼を侵食し、憑依しようとしていたのではないだろうか?
 
 彼はおそらく自らのスケッチブックやアトリエに抱えていた作品がこのように展示されるとは思いもしなかっただろう。言ってしまえば、むしろ彼のほうが、亡くなったいまでさえ多くの人に乗っ取られ、憑依されているのだ。しかし彼は、「憑依されること」に対する洗練された芸術的方法論をすでに確立していた。だからこそ、彼の作品やそこから生み出されるイメージは、最初から「憑依可能性」といえるべきものを持っていて、わたしや他の鑑賞者が彼を侵食することを許しているだけなのだ。

 何度もインタビュー映像を脳内で反芻する。中園は思考しながら溢れ出すように淀みなく話し出したと思ったら、遠くのなにかを拾うかのように突如として停止する。この一瞬の停止が生み出す静寂、そこからまた突然言葉が流れ出す様子をまた思い出す。そして彼の作品に描かれているイメージを具体的に思い出す。あれっ、とあることに気づく。作品の醸し出す「雰囲気」だけではない。彼本人の顔の表情の変化のリズムが、彼が作品やスケッチの表面で描き出す顔のイメージのそれと一緒なのである。突然、動物や子供のようにくりっとしたまんまるな目で表情が止まったと思った次の瞬間には、鋭く刺すような硬い表情へと移り変わっている。まるでもって彼の作品に描かれる表情と一緒だ。

そうか、中園孔二は彼の作品も含めて、ただ単純に「具体的」に中園孔二なのだ。
なんという当たり前の話だろうか。

「中園孔二」とはこれまで何度も作品を通して出会ってきたし、向き合ってきた。けれどもわたしは、今回こそ「初めて」、カギカッコを外した(大学の先輩でもある)中園さんと出会ったような、そんな気がする。

たぶん、もうこわくないよ、中園さん。
また再び初めて会いましょう。