彼が赴いたように

(石川 卓磨|美術家、美術批評家)

 わたしが中園孔二を知ったのは、彼が亡くなってからだった。わたしは何年ものあいだ彼の作品に出会い損ねていた。そして、今回初めてまともな形で出会えたように思えた。

 中園は赴くことを好んだ。彼は、インタビュー映像の中で渋谷や新宿などの不快感を感じるような“キタナイ”場所に行きたくなると話していた。そして、美術館などの“キレイ”な場所や森も好きであり、この三つの異なる場所へと赴くサイクルが自分にはあると話していた。場所自体に目的があるというよりも、その場に身を置いた時の自分の感覚に関心があるようだった。だから一つの場所に留まるのではなく、複数の場所に赴くことを好んだのだろう。

 中園の制作も、まるで異なる場所へと赴くように、一つのスタイルに統制されていないさまざまなタイプの作品を生み出していった。彼は主体が固定的にあるのではなく、絵画とのギブ・アンド・テイク、複数の作品の間につくられる差異の関係性や配置によって生成されると信じていたようだ。「表面」は異なっているけれど、自分には一貫性があると彼ははっきりと言う。彼は等身大の言葉で、直感的に自作について語ろうとする。それはとても抽象的で、いまだと“ポエム”という差別的なレッテルが貼られてしまいかねないものだ。

 だが、彼の作品や言葉は曖昧なのではない。制作を既成の図式や概念によって整理するのではなく、抽象的な感覚をショートカットせずに正確に捉えようとしていただけである。例えばインタビュアーに、どこから作品を描き始めたのかを尋ねられると、彼は目の前の作品のプロセスの順番を説明し始める。中園はキャンバスや紙に向かう時に、完成のイメージが頭にあるわけではなく、一つの行為のリアクションとして次の行為を生み出し、その連なりによってイメージを構築していった。作品が赴く場所を連続的なフィードバックのなかで身体的に理解していったと言える。そのプロセスを言葉で再現できることは、無自覚ではない、明晰さが存在していることを意味する。
多くのペインターたちが中園に今も絶大な信頼を感じているのは、彼の眼と手の判断の連鎖によって有機的に生み出されていった作品群の力と正確さを感じ取れるからだ。それはいまも彼の生きた感覚の証明としてイキイキと存在している。