ブリヌイに見られる環日本海の文化交流

ロシア料理と思われがちなブリヌイが、実は能登、越中界隈でカブス(漁師に漁の分前として分配される魚)を食べるときに焼かれていた、雑穀のクレープ状のものに、魚を挟んで食べる食べ方と通底し合う食文化と見て良いという、能坂利雄先生の調査メモを読む機会があった。

漁師たちが作る雑穀のクレープには特に決まった名称がないものの、冬季ブリを巻いたものが「ブリの」「ブリのが」「ブリのん」と言われていたものであり、細かく切った魚を味噌などと共に汁気が飛ぶまで火を通した具材を拭い取って生地に乗せるところから、こうして食べること自体は「拭い(ぬぐい)」と呼ばれており、具材として使う魚の名前のみで「イカの」「アジの」となる。

魚の擂り身を挟むことも多く、偶然、ロシアの「すり潰す」という意味の言葉、「ブリーン(blin)」の複数形「ブリヌイ」と一致したため、そのまま料理名として馴染んだものと見られるとのこと。
この料理の伝播には、古くからの北陸と環日本海の交易網、加賀の密貿易網とユダヤ人が関係していると見ておられた。

氷見に伝わる食紅を入れたどんどん焼きや、カマボコが巻いた形をしているのも、このカブスの食べ方から発生しているということらしい。

更に、これらに関連して能坂先生は、ブリスマスと左義長、マースレニツァとの関係についても、何か調査をしていた様だが、灰の使途について日本海沿岸地域の習俗を広く調査をという記述があるのみで、詳しい考察は後日のノートにも見られなかった。


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