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『三国志拾遺 正』補論二,補遺①

補論二「曹真の官歴について」の表Ⅲ「230(太和4)年2月 三公等就官者」に示したように,この時,曹真が大司馬に,司馬懿が大将軍に昇任したが,
それと同時に,公孫淵が車騎将軍に任じられた.淵は遼東にあったので,洛陽の朝廷で職務を果たしたわけではないが,この将軍就任について,西嶋定生「親魏倭王冊封に到る東アジアの情勢」(同『中国古代国家と東アジア世界』,東京大学出版会,1983年)は,「・・・同年七月には,大司馬曹真と大将軍司馬懿とに伐蜀の詔勅が出されているのであるから,あるいは公孫淵に対しても,これを車騎将軍に任じて,蜀への出兵に対する助兵のことを期待したのではないかとも考えられる」(474頁)と推測する.確かに遼東にあった公孫淵に車騎将軍を授与するのには唐突感がある.あるいはその擁する軍事力の応用が意図されていたと考えることは不可能ではないかもしれない.

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