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小説「通奏低音」(3)

 尾崎に聞くとこの前も、「そんなにプロ、プロ言うんやったら三千円のチケットを印刷するから百枚売ってこいや。お前レベルの自称プロがオーケストラで弾けることをありがたいと思え。というか金払え〜」とケンカになったらしい。

 相手も「チケット売るのは、あ、あ、あなたの仕事でしょ!」とアワアワ言ったらしいが終わらないうちに、尾崎はそいつを追い出して、リハーサル室のドアを目の前で閉めてやったらしい。

 「あのな、桜井。プロを判定する方法があるんや。それはな、ネットで検索すんねん。まともなコンサートやったら絶対ネットに載ってるやん。検索して出てこないヤツは自称プロ、売れてへん、売れようともしていない。に・せ・も・ん、や」。

 そっか、いいこと聞いた。半信半疑で試しに「高杉正毅」と検索してみたら、本人が開いたリサイタルや、合唱団の指揮者として30件ぐらいボロボロ出てきた。

 この人立派やん。頭も洗ってないし靴の先もパッカア開いてるし友達もいなさそうやけど。でも歯ア食いしばって頑張ってるやん。見たわけやないけど。

 1回二千円という信じられないような低賃金は少し悪い気がしたが、会場費、あとヴァイオリンのトップはプロの先生を呼んでいるので採算ギリギリだ。

 1回目の練習で高杉はきちんと頭を洗ってやってきた。

 「あのー、バッハの曲というのはですねエ、はあ、感情をなるべく排して、淡々と。あと出だしですが、はあ」。

 ヴァイオリンを始めて3年という、岡崎じいちゃんが不安そうにうなずく。今までは教室で通うだけで曲をやるのは初めて、と尻込みするのを無理やり連れてきたのだ。

 そんな岡崎じいちゃんの不安が目に入らないように、高杉は久しぶりに人間界に降りてきたのがうれしいのか、十分ぐらい滔々と喋り出した。

 練習時間もなくなるので「先生、あの、そろそろ練習始めてもらってよろしいですか。そもそも私たちは楽譜を見るのが初めてだし、半分弾ければいい方なのです」。

 岡崎がそうそう、と言わんばかりにうなずいた。

 我々はブラバン出身だったり初心者だったりバックグラウンドも違う。

 途中で「ベートーヴェンがやりたかったのにい」と膨れつらで途中で抜ける奴がいるなどトラブルはしょっちゅうだ。そもそも主催者の俺もブランデンブルク協奏曲なんか通しで聞いたことがない。

 高杉は「世界中の人がピアノができて、全員バッハが好きなはずだ」と揺るがない自信があるようだ。「ここ無理」と思っていたところも、5回以上弾けばなんとかなった。

 岡崎が言った。「曲ばかり弾いていて大丈夫でしょうか? 音楽教室のテキストをやるだけでも大変なのですが」。

 高杉は優しさに満ちた目で岡崎を一瞥して口を開いた。「あのですね、バッハはご存知の通り音楽の先生だったのですねー。初級者でも弾いていれば上手になるように設計されているのです。バッハさえ弾いていれば十分なのではないでしょうか」。

 そうか、音の出だしの多くが、指を押さえなくていい開放弦で始まったり、左の弦で抑えた指をそのまま右にずらせば済むようになっていたり、妙に弾きやすいと思ったらそういうことなのか。カラオケでも、作曲家は素人でも無理せず歌える域の狭い曲を作るというが、バッハもいい意味であざとい人だったのだろう。

 「つまらない曲をやれば心が死んでしまいます。ジャズの人たちは曲で練習するそうですが、というのはクラシックでも正しいのですねー。練習よりもステージで本番を経験する方がよほど勉強になります、はあ」。

 高杉は付け加えるように、「あと毎回練習は必ず録音して、聞き返してください。自分の問題点というのは意外に気がつきません」と言いつつ、自分のカバンの中から、エジソンが使ったような真空管のような録音機を持ち出した。

 岡崎じいさんが「先生、私たちもレコーダー持ってきましたから」と言ったが、「いえいえ、私はこれに慣れていますのと、何より帰ってすぐに母に聞かせてあげたいものですから、はあ」と伏し目がちに言った。。

 「高杉さんって、ものの言い方変だけど、いいんじゃない」とみな満足げに阪急電車で家路についた。家に着いたら彼からメールが入っていた。「私のスケジュールの都合もありますので3ヶ月後あたりに本番をしませんか」。

 高杉は自信を持ったらしく、その次も上機嫌でやってきた。

 問題なのは頭を洗ってこなくなったことだ。靴も前が開いたまま。あの手附金の三千円はどこに消えたのか。

 「先生、ちょっと」。

 練習場の廊下に呼び出して「あまたも芸能人の端くれなのですから、頭を洗ってください。不潔だと思われればせっかく集まった人たちもやめてしまいます。先生のためにもなりませんよ」。かなり強く言ったが目が泳いでいる。いうことを聞きたくないようだ。

 こ、こいつっ。

 就職と結婚をあきらめた中年男の腰につけるヒモはもうないらしい。

 結局高杉は次の練習も、その次の練習も頭を洗ってくることはなかった。

 高杉で新たにびっくりしたことが一つある。

 「通奏低音」が自由にできるのだ。

 「通奏低音」というのは、オペラとかで、長いセリフのやり取りをするときに使われる演奏形態だ。

 「ジャーン」と音を押さえてすかさず「それはこれで、なんとかなんとかーだー」と一気に言ったりするのを見たことがあるだろう。音符に書いてある音は一小節に一、二つだけで、上と下に数字が書いてある。数字の分離れたところにある音を弾けば、きれいに鳴る仕組みだ。基本はチェロが低音を弾いて、チェンバロがその上でジャンっと引いてもいいし、パラリパラリとアルペジオにしても演奏家の自由だ。

 ポピュラー音楽のギターの譜面で、メロディーの上に「A」「F#」とかコード名が書いてあるようなものと思ってもらえばいいだろう。

 いうのは簡単だが、音大のピアノ専攻でも解読できた人を見たことがない。というかこれが理由でバッハとか古い時代の曲には手が出ない楽団が多い。

 俺も楽団代表たるもの、知っておかねば、と本屋に出かけて専門書を開いてみたが「メロディーの上から2番目の音が○○の場合は、音が重なるので、この○○は弾かず、○○の位置に回す」とか書いてあって「これ、ムリやん」とそっと本屋の棚に回れ右した。

 というか誰や、こんなん思いついたんは。

 しかしそれを高杉は自由に、よどみなく、何より楽しそうに弾いた。ブランデン5番は最後は「レ」をベースにして「ファ#」「ラ」を同時に押さえるDの和音がジャーン、と鳴ってなって平和に終わるはず・・・・。


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