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「合目的的」を使わない時の心境
「合目的な」とか「合目的に」と使うのは間違いだと、すでに承知の人が多いだろうが、言い誤り・書き誤りはたびたび見かける。
正しくは「合目的的な方法を取る」というように、たまたま「的」が重なるわけだけど、これがなんか気持ち悪いんだろうな。
「合目的的な」を使わない人の心境はこうだ;
初めて何かの論文か論説か記事で見かけて以来、ずっと気になってました。「合目的的」…?誤植?タイプミス?これだけ影響力のある文中に、タイプミス?まさか。…仮にミスでも、これは…おもしろミスだ
ーその当時はコギャル全盛期だったので、世の中どっちを向いても「テキなー」が聞こえてきた時代。なんでも語尾に「テキなー」をつければ心情を表せる。多くの若者に日常語として浸透した、言葉が大きく変化したエポックメイキングな現象だったと記憶しています。だからといって、この記事の筆者が若者のトレンドから影響を受けることがあるのか…?いや、あるいはあるのかも知れない…
「合目的的だ」、そんなおもしろ形容動詞は存在しない。なにより、言いにくい。まじめで堅い文章中にクスッと失笑してしまうような存在もしないおもしろ形容動詞を使ってはいけない。本来は茶化してはいけないものだ。しかしこの筆者は使った。読者を笑かしにきている。
「堅い文章中にはありえない、急におもしろ形容動詞を使うことで、(え、なに?誤植?)ってドキドキさせながらもこれ自体文章の本旨を損なうものではないからスルーさせることもできる。緊張と緩和。本当は僕はお笑いをやりたかった。でもこんな職業に就いてしまった。今さら転職などできない。じゃあどうする?自分の文章の中でこっそりお笑いをやるのだ。誰にも邪魔されずに…」
この筆者を思うと切なくなります。凄く勇敢だった。勇敢に散っていった、論壇の中へ。
だからね、私は絶対に使わないんです、「合目的的だ」なんて。だってそうでしょ、あの時の筆者のお笑いを冒涜するわけにはいかない。
私は血反吐を吐いても「合目的的だ」は使わないと決めたんです。
「合目的的だ」は使っていいんだよ。
お笑いやってなくて良かった。