経験は言語化出来ないことを教えてくれる

·知りたいという欲
今の時代分からないことがあってもスマホでググればすぐに調べられます。また、X(旧Twitter)やInstagram等では多くの情報があります。しかし、それは知識を得たいという欲を分散させていると感じます。知識を得たいという欲が雑多な情報に、時には無意識に向かっていて、「これ」といった知りたいことを徹底的に調べるだけの欲が無くなっているように私は感じます。「知りたい」は大きな活力です。「知りたい」がなければやりたいも生まれずらい訳ですね。
興味があることがあったら、ちょっと頑張って長い文章を全部読んでみてください。

·言語化出来ない情報
ここから本文ですが、調べただけで全てを知ることが出来るかといわれれば「無理」です。それは言語化するとき、人に教えるとき、要約してしまうといってもいいでしょうし、表現できないといってもいいでしょうし、自分も知らなかったといってもいいでしょう。
それは例えば、山登りをしたことがある人がしたことが無い人にどれくらい大変だったか、頂上の景色はどうだったかを伝えようというときです。
どのくらい大変か、事実や、比喩を用いて表現することは出来ますが、実際の痛みや、精神的な辛さなどは伝えられないでしょう。
また、頂上の景色を教えるとき、例え写真があったとしても魅力の全てを伝えることは出来ないでしょう。それは気温であったり、登ったという苦労であったり、写真に写らない景色だったりするわけですが、そういったものは無意識的に感じている部分も多く、言語化することは難しいでしょう。
こういった要素は欠かせないですが、体験しなきゃ分かりません。
なんでも調べられるからこそ体験は貴重なのではないでしょうか。

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