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流派の大河は絶えずして、しかももとの水にあらず

山西派形意拳に伝わる套路「内功盤根」。
私も同じものを学んでいる。
おそらく、馮正宝先師が各地に伝えたものと思われる。

もう一度言うが、これは形意拳である。

「どう見ても八卦掌ちゃうの?」
などと言ってはいけない😅

形意拳と八卦掌はお互いに交流し、影響し合ってきたことは知られている。

おわかりと思うが、中国武術で「交流」というのは、バチバチやっているということである。

推測だが、形意拳は八卦掌に結構痛い目に遭わされているのではないか…と、思う。

そうなってくると、形意拳にも八卦掌の要素を取り入れないとヤバイということになり、内功盤根のような套路が生まれたり、意拳として再構築されたりする。

ハワイアン八卦掌も、中国の八卦掌がハワイという多国籍空間で再構築されたものだろう。

そしてなんといっても、ブラジリアン柔術である。
弘前出身の前田光世がブラジルに渡り、グレイシー一族に教え、そこから広まって、今や世界中で練習・研究されているという奇跡のような流派である。

武術は源流より出でて、数多の流れと交わり、また分かれ、大河となって大海をめざすのであろう。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

流派は型、稽古法、身体観を伝えるも、開祖と全く同じものになることはない。
積んできた経験が同じになることがないからである。

開祖と同じ強さが得られることはないが、開祖が何を経験したかを掘り下げ、己が経験を現代にて深めていけば、「流派の大河」の中に、己の水を見出すこともできよう。

自強不息、点滴穿石。
いつか、どこかに流れ着くさ。

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