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生きづらさを生み出す“客観的”正解レール

『挑戦する学校』でも少し紹介しましたが、
今日は、学校はもちろん社会に蔓延る「客観的正解」について
話していこうと思います。

【客観的正解レールで生きる人たち】

■小中高の正解レール

社会にはなんとなく客観的正解があります。
そして、大多数の人間がその正解を辿って生きています。
例えば、客観的正解レールの進路は
学校で優秀生徒→超難関大学進学→大企業就職or弁護士or医者 です。
これが大多数の人たちが思う正解です。

図1

社会ではこの矢印の中にいる事が正解で、ここからはみ出ると、
有言、無言の圧力がかかり、この正解レールに乗せられます。
自分のやりたい事(図1赤線)は基本正解レールからはみ出ているため、すぐ否定される。
ゲームが好き、絵を描くのが好き、ダンスが好き。
「そんな事をやっている時間があるなら勉強しなさい」と怒られてしまいます。
そうして、自分の趣味趣向は、怒る人がいない中でのただの趣味で完結してしまいます。
出る杭は打たれるはまさにこういう事です。

図2

■就活で気づく自分のやりたい事のなさ

緑線(図2)までは、客観的正解にいる人が圧倒的に多く、このレールに気付かずに生きていきます。大学進学も、大体みんなが言っているからとか、就職で有利そうだからという理由で決めます。

そこで大学生活終盤の就活の時に「はい、じゃあここからは自分の進路を自分で決めてください」と言われ大学生は路頭に迷います。

そこである大学生は「客観的正解」の代表であるお金を稼ぐ、お金に生きる事にハマり(マ◯チ)、人生を崩壊させ、
また別の大学生は自分の好きなことを棚に置き、何十社もの面接を受け、就職し、人が決めた仕事をこなし、不平不満を言いながら、生き続けることになります。

つまり、正解レールで生き続けるという事は、
人が決めた人生を淡々と生きるという事なのです。 

■正解レールでは恵まれる人が少ない。

しかも厄介な事にこの正解レールは、ピラミッド状(山)にもなっています。
(レールとピラミッドを融合した図を書けない(笑))
大多数の人がたった1つの山を競走しながら登り続けているのです。

でも本当は山は1つじゃなく、星の数ほどあります。そしてその山は人に決められて見つけたり、登るのではなく、自分の中で見つけていくものです。

【正解レールから脱出しよう】

■客観的正解を生きる事に疲れた人へ

図3

正解レール以外の場所には無限の可能性が広がっています。誰も発見していない面白さ、自分だけの発見がそこにはあるからです。

客観的正解レールを生きず、“主観的正解レール“を探究しながら生きていく(図3黄色線)のもアリだと思います。

そうすると、必ず誰かから否定されます。
しかし、そこには自分の好きを探究する面白さ、未知の世界に踏み出すワクワクがあります。


もちろん、このレールが自分の趣味趣向と合致しているのなら、それはあなたの最適な道だと思います。
ただ、今の自分の生活に「?」を感じている人は、無限の可能性に
一歩踏み出す挑戦をして欲しいと思います。


挑戦することは尊い

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