選挙は手を挙げること、声を届けること。

今日は選挙だ。自分たちの未来と、子供たちの未来を決める大事な一票。事前の投票行動意思アンケートによると53%ほどの投票率になる見込みらしい。日本の半分の人が興味がないとは…。先のアメリカの大統領選で66%、この数値も低い気がするが、これは!と思う人が誰もいないなら白票でもいいから行くべきだと自分は思う。

そういえば、先日何かのYouTube番組で、「全てのシニア世代が自分たちの都合だけ考えて生きている=そのように投票行動をするわけではない」と話す学者がいた。それはそうだ、僕も歳を取ったらそうありたい、自分の地球を地域をコミュニティを大切な若い命を健全な方向に導いてくれる人をリーダーに据え、たとえ自らの権利が失われるとしても、それが正しいことであると自身が納得するならば、その選択が取れる年長者でありたい。もちろん実際にそのような状況にならないと自分を強く律すことができるかわからないけれど。

そしてこの逆の考えを持つ層が存在するのは、紛れもない事実であろう。そういう人たちと結託して、既存のシステムの上にあぐらをかき、学ぶことをやめて、自動的に樹液を吸うような立場にいる者には、今の時代の波に振り回されながらも適応しようとする人たちの苦悩と努力は、5秒で飛ばされる広告みたいにノイズのように映るのだ。いや、そのノイズすら映らない視野狭窄に陥っているかもしれない。

ノイズは希望だ。

ノイズの中のエネルギーが違和感が、世の中を変える。何気ない日常を守り、全ての人が救われる(そんなの絵空事かもしれないけど、本気で目指すことはできる)そんな世界の原動力になる。

そう考えると、ノイズをチカラにできる政治家とは、尊くも面白い職業であるはずだ。

あ、そうか。ノイズを拾えない政治家は、自分の名前を連呼する自分のノイズにも気づけないのか。

選挙に行って、ノイズを立ててきます。


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