送るのは、時代。

ブーカの時代と言われて久しい。犬をネズミが追い越して、干支が周る、そんな時代でもある。

ITの進化は色々なものを奪っていったと思う。僕の子供の頃は、小学校に上がると同時に離れる友達に手紙を書いた。今は親同士がフェイスブックで繋がっている。ポケットザウルス十王剣の謎のラストステージの迷路がわからなくて、やっとこさ解いた順路を空き地に埋めて、後世に伝えた。いまは土を掘らずとも、キーを叩けば出てくる。宇宙刑事ギャバンのオープニングがどうしても聴きたくて、家族に「黙って!」といいながらテレビ番組の生音を録音したら自分の鼻息が入っていた。今は知恵の実リンゴがなんでもくれる。

僕がしていた、数々の行為は今の子たちにはきっと笑い話に聞こえることだろう。牛なべ?月代?おはぐろ?僕らは同じ運命の道にいる、これは繰り返す輪廻だ。

もちろん、嘆くことではなく、いいこともたくさんある。ようは使いようなだと思う。江戸の町人も、蹴鞠に興じる公家も、古墳を見やる大王も、みんな同じ人間。その時代時代の便利なものは喜んでつかっただろう。好奇心があるのが元来人間なのだ。

僕は今ハンドボールをしている。友達と全国に挑戦している。ただしこれはゲームの中の話だ。ハンドボール🤾‍♂️がついにゲームになった。フリーの動きが重要すぎるあの送球が手のひらでプレイできるようになった。ITが思い出を蘇らせてくれる、機械がくれた機会とその先の体温に感謝をしています、ありがとう。

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