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息子と飛ぶまで、ど突き合い。

息子とど突き合いをする。空を裂く大ぶりのパンチを胸で受けることもあれば、身をよじりまるで見返り美人かのごとくしなやかに拳を交わすこともしばしば。父親たるもの拳と拳で息子と交わるのは一度はあこがれるはずだ。

昨今の若い男性は草食系男子など言われて久しいが、僕らの子供の頃のヒーローは、ジャッキー・チェン、ブルース・リー、Mr.カトーだった。3人目を知らない人は映画グリーン・ホーネットを観て欲しい。

僕のカンフーの原体験は何と言っても、映画ポリス・ストーリー九龍の眼。終盤に出てくる「アパさん」との闘いはそれはもう傑作で、アパさん(名前はあると思うのだが、アパアパ言っているので小学生の僕らはそう呼んでいた)は見た目は冴えない叔父さんなのだが、めっぽう蹴りが早く、その動きを「アパアパ」言いながら真似をしていたのをよく覚えている。そして、我らがジャッキーはそんなアパさんをコミカルに追い詰めていく。確か手を合わせてもうやめて!(ここもアパ~という表現)と懇願するアパさんを尻目に爆竹をたくさん投げつけていた。火が身体についてのたうち回るアパさん。今ではいじめ問題に発展しそうな表現である。

この頃はジャッキー=正義であり、T字箒を持ってジャッキー、膝カックンをしてジャッキー、おやつにはビーフ・ジャッキーが定番だった。この少し後に友達から「ジャッキーはアクション俳優なんだぜ、だから本当は強くないんだ」と聞かされた時、呆然として夢遊病者のように街を彷徨った記憶があるのだが、この話はまた別の機会に譲るとして、お口直しに見た酔拳や木人拳、蛇拳でやっぱり「成龍はどう考えても強いだろう」と思いを新たにしたものだった。

ちなみにジャッキーの初期の作品ではブルース・リー主演のドラゴン怒りの鉄拳の続編「新・精武門」もヤバイ、もう一度いうとYABAI、剣勇伝説YAIBAのアナグラムか、ええと、横道にそれたがどれぐらいヤバイかというと、もうラストシーンの後味の悪さと、反日思想(僕はそう感じた)の究極な感じがして、大人になってから見ると受け止めることはできるが、多感な年ごろだと悪影響が出るような気がする、それぐらいラストが衝撃、劇終なのだ。

さて、話を息子とのど突き合いに戻す。このど突き合いはルールがある。ルールがないのがルールだ!とターザンとか世紀末覇王伝に出てきそうな奴らが言いそうだが、やはりルールがあるからこそ戦略が生まれて、腕力だけではない駆け引きが生じる。つまり圧倒的な能力差もルールのおかげでひっくり返すことができるのだ。

わかりやすく言うと、例えば、麻雀で言えば、割れ目の時には貰える点数と支払う点数が二倍になるので、相手の中盤のリーチで明らかに平和手だなというときに回して回して食いタンのザンクとか、フリテンしながら何とか回して、ラス前カンチャンズッポシでツモドラ2で、割れ目だと満貫くらいまで跳ね上がり逆転2位を死守するというようなことが起きるのもルールのおかげなのである。

僕と息子のど付き合いは2回いいヤツをもらうと終了、手を挙げてドヒャーと言うことにしている。

これを無線ロボを通じて行う。
名前は「ブットバスター」。
おそろしい名前だ、ぶるっちまう、思わず。

素晴らしきかなテクノロジー。
今日も、息子と拳を振る。

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