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#03 自分の事を書き出す。

普段は自分の事を隠している自分。卑怯だし自分を守る事だけを考えているからこそ、自分を隠し、こうして顔が見えない場所で自分をさらけ出している。卑怯な自分がここにいる事は十二分に承知している。でも、自分を正当化でき、肯定できるのも自分自身。自分が甘い事を書き出せる場所がここだけだっていいじゃないか。

時々思います。なぜ肯定がダメなことで、否定が好まれるか。自分に甘いことがそんなに悪い事なんだろうか?逃げたい人はどこに逃げるだろうか?そして逃げたいと思いつつも、逃げれない。か、逃げる勇気が無いかで結局自分を苦しめる事。になる。私自身が思う「人間」って、自分に甘く他人に厳しい。自己中かもしれませんが、そう思う。だからこそ人に厳しくしなければならない。そうじゃないと自分を甘やかす事が出来ないから。

すると今度は「面倒くさい人」とか「コイツ何言ってるんだ?」とか。他人からはそんな評価。逆に言いたい。そんなに人は強いんですか?と。私は強くない。出来る事ならありとあらゆる事から逃げたい。傷つく事も嫌だし、他人からも嫌われたくない。大好きな人には好きでいて欲しい。逃げていれば、何も言わなければ楽だから。

今より若い時は本気で思っていました。

今この時、自分が置かれている状況。重ねた月日。自分の人生が半分より少なくなって来た時。初めて人に嫌われる意味が分かってきました。嫌われなければ前に進まない事がある。歩みを止めない為には嫌われても進めなければならない事がある。自分の人生が半分より少なくなってきた最近、沢山の事を伝えなければならない。焦る。受け取る方は、「このおっさん何言ってるんだ?」と思う事。自分もその当時は年寄りのいう事は聞く耳も持たなかった。今となれば言い続けなければならない。

自分の年、月、日。と自分の過ごす時間が本当に短く感じる。理由は時間にあるのだろうか?時の流れはすべて平等なはずなのに。だからこそより焦りもある。何かしなければ。と気持ちだけあふれ出る。

いくら伝えたところで、受け取る方は転んでから初めて、「ああ。あの人が言っているのはこういう事なんだな。」と思えるのでしょう。転んで欲しくないから日々、小言みたいな事を言うけれども、転んでみなければ分からない。皮肉なものです。

何も言わなければ日々、時間は過ぎていく。時は無情だけれども平等だから。何もしなければ痛みは伴わない。それでも何かしなきゃ。という衝動はどこから来るのだろう?今日は長くなりそうだから、別な記事にしてみよう。

自分は大好きな人や、心から信頼できる人に自分の事を話します。他の人にはうわべだけの言葉を掛ける事があります。でもどちらも自分も本当の自分。こんな事を書くと裏表がある人間で、口にすると嫌われるのでしょう。

もう一度書きます。

どちらも本当の自分。自分が自分を肯定できなければ、否定する気持ちも考える事が出来ないから。否定する気持ちを考えれば肯定も出来るから。私は自分自身に甘くていい。同じくらい厳しいとも自分では思う。

だから誰も見ていないこの限られたスペースで自分の言葉で書き出す。いくつになっても考える。「自分はどんな人なのか?」その年代で思う事は異なるけれど、まずは書き出してみる事から。

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