12歳のキャリアスタートについて(私事ですが。。。)

子どもたちの未来の幸せのために伴走されている皆さん、こんにちは!

12歳向けのお仕事探しのボランティアをしている中尾まさぽんです!

勤務地である佐賀県武雄市で、「お仕事について、一緒に考えましょう!」というテーマで中学校1年生向けにキャリアスタートの時間を担当しています。

だいだい2時間(50分×2コマ)のお話をするのですが、内容はこんな感じです。

冒頭は、私の歩んできた道について、

私は1960年宮崎県延岡市の生まれです。ご存知の方も多いと思いますが、人口の2/3が旭化成の社員かその家族である、企業城下町です。

私は、父も祖父も旭化成勤務であり、その後、父親の転勤で引っ越した岡山県の倉敷市では、高校卒業まで社宅住いだったため、周囲の大人もすべて旭化成という環境で育ちました。

大学受験でも、工学部が花形であり、工業系に進むのかなと自分でも考え始めていましたが、環境問題が叫ばれ、工業化社会の先行きに不安も感じ始めていました。

そこで、工学部ではなく、別の学部を探し始めました。

現在は、環境系や社会学と理系が融合した新たな学問領域が選択肢としてありますが、当時は工学部でなければ、理学部か農学部という選択肢しかなかったので、(医学部・歯学部という選択肢もありましたが、自分の適性と成績により断念)、農学部という選択に落ち着きました。

しかし、工学部ではなく、環境のために学ぶことができる学問領域を当時、合格した大学で探すのは苦労しました。

というのも、1980年代の農学部は、食料や材料の増産のための研究が主流で環境のためという観点がまだまだ少なかった時代です。

結局は、入学と同時に入った生物研究部という部活動にのみり込み、農学部での学びはおろそかになっていったのです。

1年半の教養課程を終え、専門課程に上がるときには成績も最低で、留年は免れたものの、当時、一番人気がなかった林産学科に配属になりました。(その後、この学科は時代の変化で人気学科に変わったと聞いています)

環境問題に取り組みたかったのに、森林生産物の加工(紙、製材、接着剤など)を研究する分野は、なじめず、なんとなく、卒業を迎え、就職もせず、何となく大学院を受け、当然の結果として2年連続落ちるという伝説まで作ってしまいました。

さすがに大学院受験2年目には、もう後がないと思い、受験した公務員試験で拾っていただき、就職はしたものの、常に「何か違う」と違和感を持っての毎日でした。

その後、仕事がどうなったかは、次回、お話をしますが、

12歳の皆さんにここまでの話をするのは、工業⇒環境の選択をしたものの、

環境を進学や就職につなげることができなかった、私のキャリアスタートの反省を伝えたかったのです。

つまり、仕事をいきなり決めるのではなく、こんな分野に興味あるなというイメージを持つことが大切ですよ。

でも、そのイメージをもとに進学先や就職先を考えていきましょうね。

でも、イメージから進学先や就職先を決めるって、大変なのです。一人で悩む必要はありません。そのために、私が今、こうやって皆さんのためにお話をしているし、私の知り合いやネットワークで皆さんのお仕事探しのお手伝いをしますよ。

そのためには、先ずは、こんなイメージの仕事をしたいってことを考えていきましょう!

これが、キャリアスタートなんですよって伝えています。


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