感謝の1周年

 今年、Twitterのファンアカウントを作成してから1年が経った。
 1周年を経過する何ヶ月も前から考えていたことがあり、その日が来るのをとても楽しみにしていたのだ。
 それは「過去リツイートできなかった写真やファンアートを掘って掘って発掘しまくってリツイートをしていく」というものである。

 アカウントのポリシーに、混乱させるから「投稿から日数が経ったものはリツイートしない」というものがある。
 日々の検索やリツイートで良いものを発見しても、ポリシーに反する為リツイートできずにいた投稿がいくつもあったのが悔しかった。せっかくA選手の写真やイラストなのに、と。
 また、A選手はローマ字表記なのだが、カタカナやひらがなどころか各々独自の呼び方をされており、検索漏れが多く人気イラストアカウントでも字の如く発掘しないと出てこない投稿があるのだ。

 そんな日々の悔しい思いから、1ヶ月以上前から「やりたいだけやってやるぜ!」と意気込んでいた。

想定外の反響

 1周年記念の前日、記念イベントの告知文を投稿した。
 これはリツイートされる投稿者側の通知が複数回のいいねやリツイートでうるさく鳴る可能性があり、そのうるささが人によっては勘弁してくれと思うのではないかと思ったからだ。
 投稿者がファンアカウントを見ているかと言ったらそうではないのだが、固定ツイートにしておけば突然の大量リツイートの訳も分かるだろうと思った。

 あんなに大量にリツイートといいねをしたことはなく、初めての規制に戸惑いつつも1日を終えると沢山の言葉が私の元に届いていた。
 いつものフォロワーの方や、初めてやり取りをした方、写真を上げてくださっている投稿者の方からだ。
 投稿時を振り返るコメントや1周年を祝う言葉を頂けて嬉しかった。特に大好きなA選手の写真をリプライで送って頂けたことは、とてもハッピーな気持ちになれる最高の贈り物だ。
 が、このイベントが残したものはこれで収まらないとてつもないものだった。

「ありがとうございます」

 「ありがとう」!?と、驚いた。私はただただ自分がやりたくてA選手でタイムラインを埋め尽くし、「素敵な写真がいっぱいあって感謝感激」「需要があるからもっと上げておくれ」と思いリツイートをしていただけだ。
 さらにフォロワーが私のリツイートにいいね、リツイートを沢山してくれたおかげで、投稿者にA選手の写真は需要があると伝えることができたと思っていた。
 そのおかげで実際に写真を蔵出ししてくれた投稿者もいたのだ。感謝をしているのはこちらの方であるというのに。
 それが「いつも素敵な写真を紹介していただきありがとうございます」「タイムラインが推しだらけ」「たくさんのA選手をありがとうございます」そんな素敵な言葉と感謝の言葉を頂いたのだ。
 私は物凄く嬉しかった。A選手から楽しいことや嬉しいことを沢山貰うだけではなく、A選手を通じてファン同士の繋がりからこんなに嬉しいことが起こるのかと。
 しかし先述した通り、とんでもなく自己満足な気分でしていたことである。
 それが他の人の喜びの感情に触れて、なんとも言えない足元がそわそわするような満たされた気持ちになった。
 駆け出したい程嬉しかったが戸惑いもあった。

 少し時間を置いて冷静になった頃、その戸惑いの原因が分かった。
 素敵なのはA選手本人と写真等を上げてくださってる方々で、自分はただ欲求を満たす為にしたことだから感謝されるようなことはしてないわけで、それでそわそわしちゃうんだと。
 全方向に感謝を伝えなきゃいけないのは自分の方だと分かった。

最強の応援者

 A選手のファンなら誰もが知っているであろう有名なアカウントがある。仮にBさんとしておこう。
 そのアカウントは私なんかより熱心に、ずっと前からA選手を応援している。
 というのも、A選手の名前が入ったポジティブなツイートは大体いいねと共にBさんにリツイートされるのだ。
 そしてBさんをフォローするとA選手の情報や写真だけでなく、ポジティブな言葉が降ってくる。
 A選手ファンならばBさんをフォローするのはとてもオススメだ。
 自分で追うこともできないほど元気がない時でも、BさんをフォローしていればA選手の写真もファンの喜びも流れてきてくれる。元気が貰える。
 私は「できないときは無理してやらない」というポリシーもある為、雨が降ろうが槍が降ろうが何が起きてもそれを実行し続けるBさんをとても尊敬している。
 私が見るファンの中でも最強の応援者だ。

アカウント誕生はBさんのおかげ

 ファンアカウントが誕生したのも、元を正すとこのBさんのおかげである。
 そもそも私の個人アカウントは情報収集するだけの狭い範囲で、鍵を付けて利用していた。
 その格闘技を好きになりイベントに参加する為にアカウントの鍵を外し、その格闘技に関するツイートをするようになってきた時がA選手を好きになった頃だったと思う。
 A選手に関するツイートが増えるとBさんからフォローしていただき、いいねやリツイートを何度もして頂くようになった。
 鍵を外しても閉鎖的な使い方をしていた私にとって、それは気恥ずかしくもとても嬉しいものだった。

 BさんのおかげでA選手ファンや、新しい推しとの出会いもあった。
 マイナスさえも共有できる方達との出会いは本当にかけがえのないもので、私にとって大切にしたい人達だ。

 A選手を好きな気持ちが膨れ上がり、YouTubeで海外にいた頃の試合を貪るように見ていると「A選手をもっと知ってもらいたい」「A選手の魅力を知って欲しい」「海外での試合も見てもらいたい」と思い始めた。
 じゃあ試合を紹介するアカウントを作ろう。そうしよう。
 何かを作ることが好きな私はすぐに行動した。
 数日分の投稿のストックを作成し、具体的にどう運営するか考える。
 個人的な投稿はあまりせずに情報メインで流していこう。
 やり取りは苦手だがリプライが来たらきちんと返していこう。
 Bさんからいいねやリツイートをされて嬉しかった。同じようにすれば他の方も嬉しいのでは?
 写真をいっぱい見たいな。イラストも。
 リツイートしてさらに他の方からの反応が増えたら需要があると分かり、もっとA選手の写真やファンアートを投稿してもらえるのでは?
 そうしてアカウントは出来上がった。
 今思い直すと打算的な感情が多く、やはり誰かの為と言うよりは自分がやりたい欲求を満たしたかったのだろうと感じる。

 でも、確かなものは「Bさんにいいねやリツイートをしてもらったからこそ今の自分の個人アカウントや人との出会い、ファンアカウントがある」ということだ。
 Bさんに反応を貰わなければ大声でA選手が大好きだと投稿することもなかっただろうし、ファン同士で繋がることも全く考えていなかった。
 反応を貰える嬉しさを他の人にもしようという風に転換することも、ファンアカウントを作ることもなかっただろう。
 だからこそ今までただの情報収集ツールだったTwitterが大切な関わりの場になったし、自分が死んだら家族に「Twitterでも死んだと伝えてくれ」と頼もうとしているくらいだ。

された「嬉しい」をする大切さ

 私は本来人とコミュニケーションを取るのが苦手で、不登校や高校中退やニートをやってた過去もある。
 ありがたいことに周り恵まれてアルバイトや高校再入学等を経て大切な友達や家族もでき、今では立派な“普通の人”をポンコツながらやっていると思う。
 そうして生きてきた中で学んだ「心から思ったポジティブなことは伝えた方が良い」ということ。私はこれで素敵な気持ちになったことが沢山ある。
 接客業をやっていたとき、自分より何歳も年下だろう学生の気弱そうな男の子が「笑顔が素敵ですね」と言ってくれたことがあった。
 顔は全く良くなく化粧もできない、ただ接客が天職だと思っていただけの私はものすごく嬉しかった。
 声の調子から勇気を出して伝えてくれたのだろうと思うし、ただその一言を伝えようと思って言葉に、声にしてくれたことがとんでもなく嬉しかったのだ。
 大好きなことも、信頼していることも、良いなと思うところも、ありがとうも、心から思ったことを言葉にすると人間関係が良いものになった。

 言葉だけではない。
 Bさんのことのように、された「嬉しい」を行動してみる。もちろん私は小心者の為相手がどの様に考えるか複数パターンは想像して備えておく。
 困っている人を助けるのも同じだ。
 決してそれが正しいわけではないし、やって失敗することもあるし、失敗したらものすごく昔のことなのに唐突に頭に浮かんで暴れたくなることもある。
 感謝されたくてするわけではない。やりたいからするし、やりたくなければしないのだ。
 その中に「小さくても嬉しさを感じてもらえたらいいな」という下心はあるが。
 そして自分のやりたかったことを実行して、思いがけない感謝を貰えるのはとてもありがたく嬉しいことだ。

感謝だらけの1周年

 やって良かったと心底思った1周年イベントだった。
 周りの反応、自分の気付き、たまらなくなる程の思い。沢山の感謝が詰まった日になった。
 その日の為に取った2連休は充実した気持ちに満たされ、ホクホクとした気持ちで床に着いた。

 ただ、規制がかかって最終的にリツイートできてなかった投稿があったこと、検索でいっぱいいっぱいで発掘まで行けなかったこと、時間が足りなくて思う存分とはいかなかったことが悔しかったので2連休だし翌日もやっちゃおうかなと一瞬思ったのはここだけの話だ。
 そして1日スマホだけをいじっていたお陰で眼精疲労で頭痛と肩こりに苛まれたのは言うまでもない。よる年波には勝てない。
 そしてあの時頂いたメッセージを見ると今でも涙が出てくるのも年のせいだ。
 また来年。沢山の素敵な発掘を。

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