ほしわたりの日
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工場長は星鳥予報士の資格を持っていた。ただし私はどんな形であれその資格というものを見たことはなかった。
「僕が地球に来てもう五十年になります」
工場長はそう言うがどう見ても三十台後半以上には見えなかった。私は髪を白く染めることを提案した。工場長は悲しそうに首を振り「それはもうできないのです」と言った。
「この星に来た時に私は地球人に擬態しました。そのときにそういった能力は失ってしまったのです」
何も本人の擬態能力だけで髪を白くしろと言ったわけではないのだが、工場長との会話にはいつもどこかずれがあり、私はそれを気に入っていたので訂正はしなかった。
田舎町の小さな印刷屋で働く工場長は出来上がる印刷物の中へ密かにメッセージを仕込んでいた。それはこの星に来たはずの仲間たちへ向けての呼びかけだった。地球人には認識できない色の変化で工場長たちは会話することができるらしい。それは古の会話手段らしく、本来工場長が属す知性群は、意思疎通のために音や文字、そして色といった外部的な手段を必要としない。つまりテレパシーのようなもののための器官が備わっているそうなのだが、それも地球人に擬態したときに失ってしまったのだとか。しかし返事が来たという話は今のところ聞いていない。
星鳥は地球でいうと三光鳥に似ていて小さな冠羽があり、長い尾をひらひらさせて飛ぶ姿は実に神秘的だとか。短納期の仕事が急遽入りどうしても徹夜しなければ間に合わないようなとき、工場長は何を思うのかそんな話をしてくれる。宛名印字機の規則的な音を聞きながら深夜にぽつりぽつりと話す工場長の不思議な告白を私はいつも楽しみにしていた。普段の工場長はまじめだけが取り柄で、顔はちょっといいけれどつまらない男だった。
なんとか納品に間に合いそうな目途が立ち、深夜二時の星空を見上げながら並んで缶コーヒーを飲んでいるときだった。
「僕は妻を探すためにこの星へやってきたのです」
突然の告白に私はどう反応すればいいのかわからなかった。それはどういう意味だろう。探しているのは過去の妻なのか、それとも未来の妻なのか。つまりこれは告別か、求愛か。コーヒーは甘く、けれどやっぱり苦かった。
「星鳥のことは以前にもお話ししましたね」
「星をわたる巨大な鳥のことですね。工場長はその渡り鳥の予報士だったとか」
私は笑ってみたが、工場長はまじめな顔で星を見つめ続けていた。その横顔に私はしばし見惚れた。
「今でも僕は星鳥予報士です。五十年前、星鳥が地球へ飛来するという予報が出たときには、それはもう大騒ぎでした。なんせ地球人はまだ僕らと同じ知性群に属していなかったのですから。星鳥がそのような星へ向かうというのは前例がありませんでした。星鳥が好むのは純粋な意味でのエネルギーであり、それはつまり質量と速度のことです。その頃の地球ではまだ星鳥が好むような高いエネルギーを生み出すことはできないはずでした。しかし星鳥は未来を生きていますから」
工場長は振り返り、何でもないことのように私を抱きしめた。インクのにおいがした。私は工場長の後ろに広がる空に、いくつもの流れ星を見た。流れ星を見たのは、初めてだった。それは何かのメッセージのように思えた。いつだったか工場長は、世の中はメッセージに満ち溢れていると言っていた。私が見過ごしてしまうメッセージが日々いくつも届いていて、それは色だったり、音だったり、温度だったり、においだったり、流れ星だったりするのだろう。私にはわからない世界の言葉がそこら中に散らばっていて、過去を、未来を告げている。現在にこそすべてがあるのに、私はそこから目をそらし続けてきた。今を生きることはままならない。そして工場長の「起動」というひとことで、私はすべてを思い出した。
私の体は自覚を得た途端に巨大化し、星鳥捕獲マシーンと化した。工場長は星鳥ハンター、星捕りでもあったのだ。むろん星鳥予報士の資格を得るには星捕りの技能が必須だった。そうでなければただ滅亡を予言するだけの不吉な存在でしかない。星鳥から星を守れてこそ星鳥予報士を名乗ることができるのだ。私は工場長が生み出した戦闘機であった。
戦闘機の機能を解放した私は星の雨の中から一筋の火球が軌道を変えるのを捕捉した。長い尾の輝きが夜を彩る。それは何かのメッセージだろうか。巨大な影が街を覆う。私は工場長とともに空へ浮かんでいた。
「ずっと待っていたよ」
工場長が思ったことを私の体が増幅し星鳥へ向けて発信する。星鳥が翻り、尾で夜空に何かを描く。私は工場長の思考を通しそれを理解することができた。それは物語であり感情であった。工場長は頷くと「僕の物語はゆっくり話すことにするよ」と伝えた。星鳥が鳴く。その声は工場長の耳には聞こえなかった。しかし私を通して工場長はその声を聞いていた。これほどまでに澄んだ美しい音を、私は今まで知らなかった。世界はメッセージで溢れている。
工場長が操縦桿を握り、私たちはひとつとなり、星鳥を越える速さで地球を巡った。星鳥たちは私たちに惹き寄せられ光の群れを形成する。地球に光の輪が生まれた。太陽が嫌がるくらいに私たちは輝いていた。そしてそのまま第三宇宙速度を越え、私たちは星鳥を新たな星へと導いていく。いつか星鳥の音楽にこの星が応える日はくるのだろうか。私の問いかけに工場長は珍しく笑い、あなたはいい耳を持っていますねと言った。彼の奥さんが美しく歌っていた。