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【RP】「小曽根 真ソロコンサート(パルテノン多摩リニューアルオープン企画)」

(別アカウントの過去記事をアーカイヴする為にリポストしています)

<はじめに>
8/29開催の「パルテノン多摩リニューアルオープン企画 小曽根 真ソロコンサート」を拝聴してきました。
当初は書くつもりはなかったのですが、これまで配信等で聴いていたライブとは余りにも違う素晴らしさだった事や、後日公演情報サイトにセットリストが掲示されていた事がわかったので書かせていただくことにしました。

上記は当日の朝に小曽根氏がされたTweetです。
今回のプログラムは即興演奏をメインに構成されていたのですが、今思うとそれを予告されるように「今日この場所で生まれる音楽」とお書きになっていました。

<本編>
なんと、上手の客席ホールドアから小曽根氏がご登場。
マスクをされながらもフレンドリーに両手を振ってくださり、ステージ下手の階段から舞台に上られました。
これまで配信でライブを拝聴していたのですが、実は生演奏は初めて!期待に胸が膨らみます。

1曲目はノリノリの「Bilenvenidos Ai Mundo」で始まりました!
遠目の席でしたが、リズムを刻まれる足のステップまでしっかり響くホールで本当に素敵でした。
途中、バッハ?みたいな所からジャズのビートになったり、さらに両足で本当に踊られている様!
斜め前の青年も私同様に身体を揺らして楽しまれています。お近くに同類の方がいらっしゃると恥ずかしさが減少するので嬉しいですね。笑

MCでは1996年パルテノン多摩で行われたチック・コリア氏、ビブラフォーン奏者ゲイリー・バートン氏との野外イベント(写真の水辺の上にステージが組まれたと思われます)について語られていました。
チック氏と初めて一緒に演奏されたのはこの野外イベントのリハーサル(このホール)でのモーツァルトであることや、チック氏からの影響で小曽根氏の表現やスタイルの基本が形作られたという様なお話。
「自分のスタイルは作曲することでできる 怖いところに行く、それが楽しいことをだと教えてもらった」と。
そして「チックもきっと来ている」とおっしゃってから「これから即興演奏を2曲か3曲演奏します」とピアノの前に座られました。
けれど、「ふぅーーーーー」と大きく息を吐かれて、演奏はすぐには始まりません。
ああああ!!!コレ!!!
読響でガーシュウィンのinFを角野氏の代役として出演される際、ステージに出る前に「すごく緊張しています」とおっしゃって「ふぅーーーーー」っとてされたのと同じ(テレビの放映で拝見)。
緊張と精神集中と…あと、チック氏に言われたという「こわい所に行く」という決意の様に感じられました(たぶん)。
小曽根氏の緊張感とコンセントレーションが会場を包み、会場全体がコトリともしません。誰もが息を呑み、音楽が生まれる瞬間を待っていました。

ピアノからは優し繊細な音色ががやわらかく響きます。
クラシックの音の美しさとジャズの和声?(素人なので何と言えば良いかわからないのですが、音程や和音の変化などクラシックとは違う質感)と、郷愁とまではいかないのですが、古くから馴染みのある歌を聴いているような感覚でした。
チック氏への親愛・敬愛など様々な想いが込められている様に感じます。
実は私にも、他界されてしまった方との特別幸せな思い出がこのパルテノン多摩にあり、それらが共鳴したのか…悲しい曲ではないのに感動で泣いてしまいました。

1曲目が終わっても会場は水を打ったように静か、誰一人として拍手もできない状態です。
ああああ、これは能と同じ!!!
本当に素晴らしい演能に立ち会えた時、演者が退出する際にも拍手をすることができず、空の舞台だけを見つめるしか無い時があります。
こういう状況になるのは本当に特別に素晴らしい演能だけなのですが、とは言えそれでも「稀にはある」というのが能の舞台です。
それがまさかまさか、ソロピアノのコンサートで起きるなんて!!!
そういえば「能だけだと思っていたのに!!」という驚きを角野氏のピアノを聴くようになってから度々経験していました。笑
一つ目はショパンコンクールの角野氏の「葬送」、二つ目は「千と千尋の神隠し」、そして三つ目が小曽根氏のこの「即興演奏」です!!

2曲目はより小さい音が繊細で、なんというかハープみたいな普通のピアノとは違う音の様にも聴こえてきました。
音楽的には1曲目よりも現代音楽的な要素というか不協和音などが混ざる感じなのですが、ここで気づいてしまったことがあります。
私はこういう感じのちょっと現代音楽っぽいニュアンスの不協和音が入っている曲が一番好き〜〜〜!!!
リズムもジャズ的なグルーヴとかノリが良いというのではなく、生物の呼吸や生命そのものの活動のような、もっと生理的な感覚と調和する感じです。
「落合陽一×東京フィル〜」では理由もわからずに、「答えのない質問(アイヴズ)」を「自分の感覚に一番フィットする音楽」と書いたのですが、小曽根氏のこういう音楽が大好きな部分と共通なのかもしれません。

そして、2曲めが終わってもやはり張り詰めた空気はそのままでした。
小曽根氏の集中力も凄いのですが、本当に会場の皆様も同様なのです。
3曲目の即興はこれまでの中でビートが効いていて普通にジャズっぽい!ステップの音も軽やかに感られてたかと思ったら…子守唄みたいに優しくなったり…と、音楽が自由に転換していきます。
すると、会場にキーンと音が響き始めました。すぐ収まるのかと思っていたのですが、止む気配がありません。
ところが、、、、
驚くことに、その音に合う様な音楽が小曽根氏から生まれてくるのです。ハウリングの音がシンセサイザーの効果音の様に聴こえるではないですか。本当に驚きました。
ですが、余りも長く続くため聴衆側の集中力は段々と解けていきました。
3曲目の即興が終了してもまだハウリングが続いていたことも理由でしょうか、ハウリングが聞こえないほどの激しいリズムと音量のO’berekを演奏して下さいました。
公式のセットリストでは即興3曲の後にチック氏の曲と表示されていますがMCでも「スラブの民族舞踊でフラメンコみたいなO’berek」とご紹介されていましたので、この曲が演奏されたのは確かです。
ただ、即興の3曲目として繋げられたのかもしれず…だから曲として記載がなく即興扱いなのかもしれません。
とはいえ、これが実に良いタイミングだったのです。
聴衆側も緊張感が続いていたので、このちょっと気が緩んだ所に熱気あるリズムとグルーヴで盛り上がるオベレクが、本当にカッコよくて楽しくて!!
曲が終わるとハウリングも止んでいて、ここぞと割れんばかりの拍手が会場中に響きました。
この、アクシデントを味方につけてしまう様なところ、フジロックの角野氏もそうだったなあ…なんて。(いや、比べる事は小曽根氏に失礼なこと位は承知しております。。。)
※休憩後の館内放送で注意があり、どうやらこのハウリングは補聴器のトラブルたったようです

次にチック氏が作曲されたというご紹介で「Children's Songs #20 #6」を(演奏順はセットリストとは逆)。どちらの曲か忘れてしまったのですが、ちょっとポリリズムっぽい感じもあってとても面白い曲でした。笑
すでに日が経っているということもあり、すごーーく印象に残った部分以外は曖昧になっています。すみません。
そして、第一部が終了!

第二部の1曲目はラヴェル「ピアノ協奏曲 第2楽章」。
わざわざ「小曽根バーションで」とご紹介があったところに、このコンサートに貫かれていると思われる「ご自身のスタイル」への拘りを感じました。
いつもは「ジャズ屋」とおっしゃることが多く、わざわざお名前をおっしゃる事はなかった気がするのです。(記憶違いだったらすみません)
演奏が始まってみると、冒頭に書いた様に「アレンジ」という次元を超えているというか、今まで聴いた事が無い感覚の編曲でした。
美術の例で言うと、ジャズのアレンジ(楽器編成を変える為の編曲とは違う)は、元作品の特色を残してデフォルメする様な手法に感じられるます。一方、この時の編曲は、元の作品を丁寧に分解した後にイメージの質感やテクスチャーを壊さないように独自に再構築するようなものなのです。
つまり、ラヴェルの曲を小曽根氏が作り直している感じと言えば良いのでしょうか。
ただし、バラバラにしたパーツを構成するコラージュとも違っていて、イメージや質感を再構築している感じ。
うーん、音楽的な知識が無いので何と言ったら良いのかわかりません。
とにかく、作曲に極めて近いレベルに大きな編曲をされていました。
しかも美しい音色はクラシック演奏かそれ以上に感じられつつも、クラシックとは違う自然の風や水のように音がたゆたうのです。そして、それらと調和するようにジャズの表現がフッと現れてきます。
クラシック寄りの表現が内観的なの対して、このジャス的な表現はふわっと広がるような解放感を持っているのですが、それら全てが一つの世界観として融合しているのです。
あああ…言葉にできない。。。

角野氏もショパンのオマージュで「胎動」「追憶」を作曲されていますが、曲のパーツがオマージュとしてわかりやすい。しかも、別の曲としてつくられています。
でも、小曽根氏はラヴェルの曲なのに、角野氏の2曲以上に小曽根氏としての音楽が感じられるというか、オリジナルの質(ある意味では編曲としての質)が全く違うのです。
無理やり分析的にしてみると、角野氏の2曲の再構築はコラージュ的で演奏表現にオリジナリティが溢れています。
一方、小曽根氏はその音楽の要素全てが一つになったオリジナリティとでも言えば良いのでしょうか。。。
私に音楽的な知識があれば、もう少しまともな感想を書けたのに…本当に残念でなりません。
とにかく、まさに「小曽根バーション」としか言えないのです。
こんなに素晴らしいラヴェルの「ピアノ協奏曲」が聴けたことに本当に感謝しかありません。

そしてガラリと変わって「Struttin' In Kitano」のはじまりは、いつも以上にゆったりでタメがあって、しかもテンポが自然に不揃い。でも、全然わざとらしくないのです。
ソシアルダンスのワルツの場合、膝の屈伸を使う上下運動が移動ステップとともに感じられますが、似た様な面白い伸縮感がありました。もちろん、3拍子ではありませんけど。
「Itallpark」はブエノスアイレスにあった遊園地だそうで、ゲイリー・パートン氏と行かれた時の思い出を曲にされたとのこと、本来はビブラフォーンとピアノの曲だそうです。
アルゼンチンタンゴや夜の遊園地などのイメージとのことでしたが、途中なぜかバッハっぽい?ような演奏方法みたいなところもあったり(音楽的に何と称すれば良いのか不明)、遊園地みたいに色々なものが詰まっている感じでした。

そして最後の曲「choreo-graphy」。
MCは演奏の後だったと思うのですが(記憶が定かではない)、少し前にラジオ放送された反田恭平氏「ピアノ・ジャム!」でもされていた全米デビュー時の事をさらに詳しく。(番組内「ヨレるリズム」のお話も面白かった!)
ここでも作曲でいかに自分を出すかというお話になり、デビュー時にチック・コリア氏の影響が強過ぎる事を理由に「choreo-graphy」は作曲・録音したもののデビューアルバムには収録されなかった事、その後CDにする際にSONYが勝手に収録したとのことでした。(笑)
ただ、小曽根氏はそのことに感謝している、今だからそれを演奏できる…という様な事もおっしゃっていた様に思います。
曲の感想ですが、言われてみれば少しスパニッシュっぽい?(いわゆるSpainっぽい感じ)のニュアンスは感じました。でも、それがチック氏のスタイルに近すぎるとは私には感じられませんし、今だったら「チック・コリアに捧ぐオマージュ」と副題にして堂々と出せるでしょう。
もちろん、今現在の小曽根氏の音楽表現として考えればデビュー時のものとは全然違うのでしょうが。。。
実は今、それ以外にも思うことがあるのですが、長くなるので後述します。

最後のご挨拶では「今日はMCを忘れた」と。笑
確かにいつもの様に1曲のずつの説明や観客を楽しませるようなお話はあまりなく、また「挑戦し続けることを(チック氏に)教わった」という様なことを語られ、「今日はチックが来ていた お陰でたくさん弾かされた」と。
そして、「ステージでやる即興演奏で、こんなに集中できたのは初めて!」とおっしゃって下さったのです。
これはもう…観客として本当に嬉しかったです。
確かに、あの時間は本当に特別なものでしたから。。。
ちなみに、当日の私のTweetはこんな感じでした。

緊張感とコンセントレーションが会場を満たし、ピアノから表出した素晴らしい即興音楽たちに誰も拍手すらできませんでした。音楽表現というより、音楽という存在自体が創造される奇跡のような時間。観客の一人として立ち会わせて頂けた幸運に感謝します。本当にありがとうございました。 #小曽根真

(サークルでのTweetのため埋め込みではなく引用)

アンコールはモーツァルト「concerto for 2 pianos」を。
当日のMCではご案内がなかったのですが、この日はチック氏に因む曲ばかりということもあり、ジャズアレンジを入れつつお二人で初めて演奏されたとお話されていたモーツァルトでは?と聴きながら思っていました。
音楽でわかったのではなくて、お話の流れからの想像です。苦笑

この1曲で一度舞台から下がられたのですが、拍手が鳴り止まなかったので改めてご登場。「では、Rebornを!」とおっしゃって演奏が始まりました。
ゆったりとしたテンポで始まり、ジャズというとどちらかと言えばブルースに近い印象、とても美しいメロディ。
なんだか段々讃美歌のような印象になってきて…
あああ、、、これは、”OZONE Till Dawn in Club Part 5”で聴いた「自由への賛歌」と似た質感!!
そう、その音楽自体が祈りになっている讃美歌です。
実は「自由への賛歌」の時に讃美歌の意味を調べてみたら、本来は神への賛美であって祈りそのものではないことがわかりました。
小曽根氏が演奏された「自由への賛歌」は祈りとして感じられたので、私は断然こちらの方が素晴らしいと思っていたのです。
でも、この日の「Reborn」で、どうして讃美歌が祈りではなく賛美を表現する音楽なのか、ようやく理解できたのです。
そう、賛美とは感謝なのですね。
(ああ!元の本来の意味を音楽で理解できたという意味で「能みたいな経験」4つ目!)
そして、小曽根氏の「Reborn」には祈りも込められているのです。
私はこの演奏で初めて、尊く美しい「祈りが込められた賛美」というものを感じることができた気がします。
曲の終わりに近い頃、ほんの数秒真上を向かれて演奏されていました。
まるで「チックありがとう。僕はこれからも頑張るよ。」と、会話をされているかの様に。。。

「Reborn」は、このパルテノン多摩がリニューアルオープンということに因んでいるとは思いますが、あの1996年のチック氏との共演がご自身にとっては「Reborn」だったという事かもしれませんし、この日のコンサートがまた新たな小曽根氏の「Reborn」という事なのかもしれません。
あと…もしかして?!。。。。(後述)


<おわりに>
最近、日本文化と西洋文化を比較して考えることがあり、小曽根氏のデビュー時におきた「スタイルが似ている=アルバム収録NG」というお話を興味深く伺いました。
以前も書いたかもしれませんが、西洋的な「前例無き個性」のみをオリジナルとして重視する価値観に対して、 日本の古典芸能では型を尽くした上で滲み出てくるものが個性です。
たぶん、個性の差を意識する部分が細部のため、結果としてオリジナリティの解釈が広義になるのです。真似で技術を盗むという意味では模倣に価値を置いている事も大きいでしょう。
また、東西の比較だけでなく時代的価値観の差も感じられました。
二次創作やリミックス、インスパイヤー作品にオマージュ作品など、元作品と自己表現が混ざりあう作品表現が定着している今だったら、もしかして小曽根氏のデビュー作品もNGにならないのでは?と。

ここから書くことは角野氏ファンとして深読みし過ぎだろう事は十分に承知しているのですけれど、角野氏が堂々とショパンのインスパイヤー作品として「胎動」「追憶」をリリースされた事にも、時代の変化をお感じになられているのではないか…と。
もし、前例無き個性に固執しない時代・場所だったら…という当時を思うお気持ちの一方で、その西洋的オリジナリティーが重視される厳しい世界でご自身の音楽性を育まれてきた自負のようなものを、私はこのコンサートで感じたのです。
とはいえ、現在の小曽根氏ご自身は広義で柔軟な個性(概念として)を受け入れられていて、たぶんそれがこの日に聴いたラヴェルの協奏曲にも繋がっているようび感じるのです。
オリジナリティーを確固とした信念で貫く姿勢と、個性を広義に柔軟に解釈されている部分とが自然と同居されている不思議さを感じます。
これは論理や概念で境界線を引こうとしても難しいことで、世界の第一線で演奏活動を続けてこられた方にしか辿り着けない境地なのかもしれません。

そして、だからこそ「Reborn」のもう一つの意味合いも感じるのですよね。。。
この日披露された即興、角野氏がYouTubeやインスタのライブでサラッと披露しているものとは全く次元が違いますから。
そう、角野氏の「New Birth」へのガチなカウンター!!!
大人の逆襲!!!
いや〜〜〜〜、見せつけて頂きました。笑
今後もお二方のガチ対決、楽しみにさせていただきます。
(上記は私の勝手な想像です)

<追記>
9/2に小曽根氏が出演されたラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」を拝聴して、上記に書いた「オリジナリティ」のへの疑問が少し解けたような気がしたので追記します。
小曽根氏のジャズピアノに対する姿勢は、実は日本的な「模倣」から始まっていた様なのです。
「見よう見まねで音楽を始めたんで、我流でやっていたので」「それがジャズの場合はすごく良くて」「彼ら(当時のNYの黒人の友達など)のアクセント、音楽の訛りをそのまんま覚えるようなものです」と、その後共演されていた香西かおり氏の民謡のエピソードで「門前の小僧〜」というお話に。
また、初期から「模倣」による音楽表現から出発したのに対して、こうあるべきとというクラシックピアノの規範への反発もお話もあったので、「好き→真似る」という方法論で表現を磨かれていらっしゃった訳です。
であるならば、ご本人が語っていらっしゃらないデビュー時(もしくはその直後に)に向き合われただろう「自己スタイルの確立」は大変なものだったのではないかとも想像できます。
そんな中で、小曽根氏が歩まれている暗い道の先に小さな光を灯しながら自らも歩まれていたチック氏をお感じになっていたのかもしれません。

それから、「大阪国際フェスティバル2022 ひかれあうジャズと古典-2台ピアノの午後」のお話になり、こちらの曲目もレヴェルとモーツァルトということでした。
なるほど〜!今回演奏された曲にはそちらの意味もあったのですね。
今までに無い本当に素晴らしい試み!
配信がないのが本当に残念ですが、天国にいるモーツァルトやラヴェルや…そしてチック氏にも届くきっと素晴らしい音楽が奏でられる事と思います。
番組でもう一つ紹介されていたBillboard大阪「小曽根真 From OZONE till Dawn」も配信がなくて残念。。。

そしてそして、すごい情報を発見してしまいました!!!
なんと、小曽根氏が「墨田のためのピアノ協奏曲」を制作中とのこと。
2023年3月17日、18日開催 明日9月3日発売です。
なんでこんなにいつもシンクロニシティになるの?!
神様、本当にありがとうございます!!!
そして、ラヴェルの協奏曲がアレンジではなく再構築された様に感じられたという事にも、すごーーーく納得したのでした。笑

<おまけ>
とても個人的なことなのですが…
冒頭「私にも、他界されてしまった方との特別幸せな思い出がこのパルテノン多摩にあり」と書いたこと、以前書いた義理の姉妹のことです。
一周忌があり、お母様とお兄様ご夫妻と約1年ぶりにお目にかかり、つい最近パルテノン多摩で小曽根氏のコンサートを拝見したこと、チックコリア氏を偲ぶ内容であったことをお話したら…なんとなんと!!!!
お母様とお兄様ご夫妻(その当時はお父様も)が、そのコンサートをご覧になっていたとのことです。
さらに、お兄様は8月にブルーノートで行われた「From OZONE till Dawn」の1日目に行かれていて、奥様は私と同じ二日目の配信をご覧になったとか。
さらにさらに、お兄様がお目当てだったのはトランペットの松井秀太郎氏だったそうで(もちろん小曽根氏のライブには度々行かれているのは前提ですが)、私も若手の方々の中で一番良かった〜〜!!!と大盛り上がり。
ちなみに、その時のTweetが下記です。

昨晩の「OZONE till Dawn」配信で拝見。皆様素晴らしかったのですが、特にトランペット松井秀太郎氏のエモい美弱音に驚愕。in Fのソリストはミヤシロ氏とともに松井氏熱烈希望!後でプロフ見たらクラシックご出身でミヤシロ氏にも師事されていたとか(見る前にわかったのちょっと自慢して良い?笑)。

(サークルでのTweetのため埋め込みではなく引用)

ちなみにお兄様、役職就任時に日経新聞の人事欄に掲載されるほどの方ですが、WONKもお好きとのことでさらに盛り上がってしまいました(見た目もお若いです)。笑

今回のコンサートもチェックはされていた様ですが、お母様が乗り気になれず(当然ですが)スルーされたとのこと。
ですが、次にここで小曽根氏のコンサートがあったら、ぜひご一緒しましょう〜!とお約束しました。
実はこのチケット、気づいたのが購入したのが「From OZONE till Dawn」の配信チケット購入した際にオススメに出てきたのです。その時点で残席はほんの10席なかった記憶でした。
ブルーノートは会員になっていて、Tweetやnoteにも書いていない他の方の配信も拝見していたりするのですけど、小曽根氏のコンサートチケットはチェックしていなかったので、本当に偶然見つけた感じでした。
三回忌の後はあちらのご家族ともお目にかかる機会が減ってしまうから、きっと義姉妹が知らせてくれたのだろう…と思っています。

ということで、本来は全然関係が無いはずの角野隼斗氏・小曽根真氏・高木正勝氏が、私には義姉妹を中心とした美しいトライアングルに見えています。
実は翌日のお墓参りの当日夜に高木氏のコンサートがあり、号泣してしまいました。。。
これはまた、別の機会に。


※鬼籍に入った歴史的人物は敬称略