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月天心

 月天心貧しき町を通りけり

 蕪村の句である。私は蕪村という人について、あまり多くを知らない。三十五年以上も前に、高校の国語の授業で(現代国語だったか古典乙1だったか忘れてしまった)この句に出会った。蕪村がこの句を詠んだ時の精神的な背景は、その時に教わっただろうが、今となっては忘れてしまった。ただ月天心という言葉がえらく気に入って、今でも忘れられない。
 蕪村の本業は絵師であった。芝居好きであったともいわれている。そんなところから、なんとも風流な人であったことがうかがえる。人生を楽しむことができる人だったのだろう。しかし不幸な少年時代を過ごしたのだろうか、父母について何も語っていない。彼の故郷への思いは俳諧や絵画の中にとどめられ、終生、故郷に足を踏み入れることはなかった。
 そんな思いがこの句のなかにはあると思う。
 月が自分の真上にある。自分の影はない。貧しいあばら家が道の両脇にひっそりと並んでいる。その道の真ん中を通っているのは蕪村本人である。時間はもう、とうに午前零時を回っている。蕪村は何を考えているのであろう。犬の遠吠えが、あたりの静けさをさらに深くする。人生を楽しむためには、人生の悲しみを知っていなければならない。それが十分条件ではないにしても、必要条件ではあるだろう。
 朔太郎は彼を郷愁の詩人と呼び、晶子は彼を兄と慕った。彼は啄木や白秋そして子規にも影響を与えた。この私にも・・・・・。
 私は蕪村のことを思って一句詠んだ。出だしは月天心・・・・・。

 月天心影なき人の暗い陰


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