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「本来の自分を生きる道」肚から湧き出る声を聴く〜深澤里奈子

 数字的目標
 よりも
 感動的目標
 福島正伸

いろいろあった俺の一番の教訓は、「正しい事より楽しいこと」。「りなりな」こと深澤里奈子さんは、自分自身の、社員の、事業の変容を楽しんでいるように見えた。だからvoicyラジオでの対談は終始愉しかった。湯河原温泉 料亭小宿ふかざわ[Ryokan Fukazawa] 若女将から、ご縁の杜 Goen no Mori ~人生に変化が起る宿~へ変容していく物語を語ってもらった。

旅館業から教育(共育)業、感動創造業への道のりに重なる部分があって共感トークができた。興奮して俺の声が弾んでる。「肚からの言葉はブレない!」「肚と肚が繋がると、奇跡が起こる」と感じられたポジティブエナジー全開の8日間の対談、フォローして聴いてほしい

りなりなとは、10年以上コメンテーター(審査員)を務めた「ドリプラ世界大会」繋がりで、つるちゃん(鶴岡秀子さん)から紹介されて、去年12月、七沖さん(鈴木七沖さん)が運営する天外さん(天外伺朗さん)のオンラインサロン、「サロン・ド・テンゲ」湯河原合宿で10年ぶりに再会した。

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東海道線JR湯河原駅から徒歩5分、街中の立地にありながら、ご縁の杜 Goen no Mori に入った途端、「気」の流れが変わった。ここを訪れた人の多くが、「落ち着く、安心する、思ったことが話せる」などの感想を持つらしい。そんな宿を経営する女将りなりなの過去、現在、未来とは?

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彼女は第2次ベビーブーム1973年生まれ、還暦の俺とひと回り違いの丑年。勉強ができたので学級委員を務めたこともあるリナリナ。意外にも25歳までは大人しく反抗期もなく、親の言う通り「良い子」で育った。そんなリナリナが26歳から、どう変わっていったのか?「着物、着てればいいから」大女将のお祖母さんから、そう言われて育ち、漠然と「将来は宿を継ぐんだろうな」くらいに考えていた。いざ、その時が来ると・・・最初の壁は人間関係。身内ではお祖母ちゃんが大女将、お母さんが中女将、そして自分が若女将。「誰が女将さん!?」状態。お祖母さんの下で働いていた従業員の人たちは50代60代。りなりなのオムツも替えた「育ての親」みたいな存在だ。「ミーティングしたいので集まって!」と言っても、「ミーティングって何?」と、言葉も通じないから集まらない。それに加えてお客さんも「姉ちゃん!」呼ばわり。そこで経営セミナーに参加して日頃の不平不満をぶちまけて2時間話しを聞いてもらったらスッキリしたという。自分にフタをしていることにも気づかないほど悩んでいたのだ。セミナーの学びは、「経営は数字だと思っていたけど、理念なんだ!」

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「私が女将になる!」そう決意したリナリナ。全ては覚悟から始まる。最初に取り掛かったのは採用。ところがリナリナには面接の経験がない。お祖母さんに助けられながら若手を採用していく。そこで「人の内側をみたい!」と、心理学を学び始める。28歳になると、スタッフが変わり「私の言うことを聞きな!」という大女将の時代から、「一緒に考え、共に育つ共育プログラムをつくる」トップダウンでもボトムアップでもなく、「縦の関係」から全員参加型の「横の関係」に体制が変化していく。答えをすぐに求める時代に、りなりなはスタッフと徹底的に話し合うことでコミュニケーション力をアップさせ信用・信頼を勝ち取っていったんだと思う。

34歳、旅館業ではなく教育(共育)業にシフトチェンジ。10室の宿に30人のスタッフ。60代ばかりのスタッフから平均年齢28歳のスタッフに変わっていた。引っぱるリーダーではなく、横にいたり時には押してもらったりとスタッフと良好な人間関係を築いていく。そんな関係から生まれた「理念の木」。お祖母さんの言っていたことを表現を変えて理念をつくると、大女将のお祖母さんも「いい言葉だねー」と納得。それが、コレ。

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書くこと、自分らしい表現をすることの大切さを、リナリナから教えてもらった。理念を共に創り上げたことで、個人と会社の方向性が一致していく。個人の成長は会社の成長に繋がる。その思いは数字的に結果となって現れていく。稼働率が60%から95%に。そこへ起きた2011年の東日本大震災。自粛ムードで一気にお客さんゼロ状態に。その時、りなりなは、「一日中、全部署を集めて話し合う時間ができた!」とポジティブに捉えた。「もう旅館としては機能しないかもしれない。だけど、未来に向けてみんながしたいことをしよう。一旅館の中だけでなく世界に向けてできることをやっていこう」その話し合いから生まれたのが、ご縁の杜 Goen no Mori のサブタイトル「人生に変化が起る宿」。泊ったお客さん一人ひとりが自分の場所に戻った時、そこでの気づきや学びを実践し、波紋のように広がっていくことで自分の周りから世界を変えていく。一人ひとりが本質を追求し、自分の成長にフォーカスしていく。まさに「地球探検隊」が旅のコンセプト25ヶ条として掲げていた「旅は手段であって目的ではない。旅は終わってから始まる!」だ。

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クレーム対応をしていく中でリナリナは、言葉の定義を自分らしく変えていく。たとえば「おもてなし」。「お客さんもスタッフもお互いが裏も表も無いこと」ここも地球探検隊でやっていたことと一緒。「スタッフは添乗員でもガイドでも通訳でもなく、仲間として参加する旅。」

2013年ミシュランに載り売上は上がっているが、2015年くらいから違和感を覚えた。その時、ある言葉と出合う。「観光業はなくなる。観光する人は行った場所に自分自身を持ち込んで自分に合わせていく。そうじゃない。旅は巡礼なんだ。」「そうだ!私は巡礼がやりたい、してもらいたい!」と腑に落ちた。そこで年18回も自主上映会を開催。宿泊する人もいるが、宿泊しなくても1500円の上映料金+交通費で来られるから、客層が変わっていく。上映したのは「生死」に関わる映画。すると空間記憶が変わっていく。さらにアタマで分かっていても変わらない、カラダから変えていくと、食べる物を変え、日の出を見るツアーを実施。1年経って年末の冬至の日。肚の声が聞こえた。「ご縁の杜」の誕生である。

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「このまま旅館をやっていてはいけない!このカタチを終わりにします!」アタマと肚は違うことを言っている!?肚が勝手に話を始めること2時間。年が明ける前、日付も決めた。「1月31日まで、このカタチ。2月3日から生まれ変わります!」マネージャーと板長の2人が「わかりました!」スタッフとリナリナの肚と肚がつながったのだ。

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鮮魚で有名な湯河原にあって魚も肉も出さない!ヴィーガン料理の野菜でいくと決めたワケは?辞めた板長はどうなった?2016年からヴィーガン料理に変えたら起きた奇跡のような出来事とは?

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 「都市の住民のなかには、
 朝について知っている者はほとんどいない。
 善良な人びとのなかで、
 一年に一度、太陽が昇るのを見る者は千人に一人もいない。
 彼らは朝についてなにも知らないのだ。(中略)
 私は朝を知っている。朝に精通し、朝を愛している。
 新鮮でさわやかな朝をまるごと愛している。
 朝こそ、命をもち、息をするすべてのものに新しい尊敬と楽しみと
 感謝の気持ちを呼び覚ます日々の新しい創造の舞台なのだ」
 『この世で一番の贈り物』オグ・マンディーノ



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