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3月19日(日)ガイアシンフォニー地球交響曲「龍村仁監督を偲ぶ会」

 異郷を吹く風が
 内なる旅の扉を開く
 中村隊長が誘う地球探検の旅は、
 地球とつながり、人とつながり、
 自分とつながる旅である。
 『ガイアシンフォニー地球交響曲』監督、龍村仁氏推薦

「地球探検隊」隊長 中村伸一(著)『感動が共感に変わる!』オビの推薦文より

横浜に引越して3年、都内に出ることが少なくなった。
久しぶりに都内に出かける。
3月19日(日)第一部、アキバホールで開催する「龍村仁監督を偲ぶ会」に行くからだ。偶然、『ガイアシンフォニー地球交響曲』龍村 仁監督が今年の1月2日に亡くなっていたことを知った。

『ガイアシンフォニー地球交響曲』龍村 仁監督

voicyラジオで対談放送したジュンコさんから、「『ガイアシンフォニー地球交響曲』で主題歌を歌ったスーザン・オズボーンさんにシアトル沖のオルカス島まで会いに行った」と聞いて検索すると、ガイアのホームページで、「龍村仁監督が旅立ちました」の文字が目に飛び込んできたのだ。ジュンコさんとの対談が導いてくれたように感じた。師匠であり、魂の友の死を知らなかった。その日はショックで何も手につかなかった・・・。

最後に会ったのは、2019年の春だったと思う。新宿御苑の「okudo 東京」のランチで偶然監督と再会し、58歳直前に3回目の結婚と再び父になることを報告すると、「Congratulations!」と笑顔で祝福してくれた。「okudo 東京」で一緒に担々麵を食べながら、星野道夫さんと新宿御苑で打ち合わせをした映画の裏話を聞いたこともあった。そう、縁があったのだろう、監督とは新宿御苑の街でバッタリと何度も会った。

アラスカ・フェアバンクス郊外で観たオーロラ「オーロラを見ながら星野道夫を語る会」

それは、龍村仁事務所と同じビル「ビューシティ新宿御苑」にオフィスがあった頃からだから、今61歳の俺が20代の頃からだ。「ビューシティ新宿御苑」のエレベーターで2人きりになることが100回以上あった。「ロードバイクと一緒にニコニコ顔で入って来て独特のオーラを放つこの人はいったい何者なんだろう?」とずっと気になっていた。

「私には夢がある」主催の講演会チラシで「あのエレベーターでよく会ってた人は、龍村仁監督だったんだ」と初めて知ったのは今から20年前、41歳になってからだ。

その後、友人の青樹さんが主催する、『ガイアシンフォニー地球交響曲』1万人プロジェクトに関わり、上映会の告知を手伝ったりした。上映後に監督とステージに立って最初に質問する人に青樹さんが俺を選んでくれたりした。それが、きっかけで街中で会うたびに「監督!」と声をかけると笑顔で「隊長!」と呼び合う仲になった。ほぼ同じ時期に、青樹さんが『ガイアシンフォニー地球交響曲』に出演したKNOBさんを紹介してくれて親しくなった。青樹さんがKNOBさんと俺の2つの共通点、同じ「中村」という苗字、25歳に人生の転機があったことを見つけてコラボトークライブを企画してくれた。俺のコラボトークライブ最初の相手はKNOBさんなのだ。

2008年、2冊目に出版した「感動が共感に変わる!」ではオビの推薦文を書いてくれた。それが、冒頭の言葉だ。会社は2018年10月にクローズしたが、創業して22年、何冊も出版して一番嬉しかったのは、龍村仁監督の推薦文だ。

経緯は、ダメ元で監督にメールをした。するとスタッフの方からすぐに返信があった。
「監督は中村隊長に会うと言っています!」
そして出版社の編集担当者と龍村仁事務所にお邪魔して、
「監督、ゲラを読んでもらって推薦文を書いてもいいと思ったら、お願いしたいんですが・・・」
「俺は隊長が何を書くかわかっているよ。わかりました。じっくり読んで書きましょう!」
「監督、夢みたいです!」
「隊長、水くさいな、夢みたいなんて言うなよ」
笑顔で言った監督を今でもはっきりと憶えている。フラットで気さくな監督のような人になろうと思った瞬間だ。

そして、友人つよぽんが出版記念講演会で監督と俺のコラボトークライブを企画してくれた。多くの人とコラボトークしているが、龍村監督とやったトークライブが一番嬉しかった。

その後、Ryo「地球探検隊」新宿オフィスで監督と俺のトークライブを企画し、そこに参加していた人が超リピーター隊員となった啓子ママだ。

隊員さおちゃんが「地球交響曲第四番」に出演した名嘉睦稔さんのレセプションに招待してくれて、会場で睦稔さんと龍村監督の話をした。その会場で作家の田口ランディさんと再会し、俺の事を憶えていてくれたのも嬉しかった。

5年間だけ営業した「旅するカフェバー」をつくって一番嬉しかったのは、監督の奥さん、ゆかりさんの誕生日を祝うため、龍村仁事務所のスタッフと監督家族が来店してくれたこと。今から12年前、2011年のことだ。監督が娘さんを肩車してた姿が微笑ましい光景として記憶に残っている。

監督はいつもサングラスをかけて新宿の街を闊歩しているか颯爽とロードバイクに乗っていた。19歳年上の憧れの存在だった。俺に生きる希望と勇気を与え、そして自分らしく表現することの大切さを教えてくれた人。また、あの監督の笑顔に会いにアキバホールに行く。

俺は監督とのコラボトークライブを主催してくれた友人つよぽん、そして『ガイアシンフォニー地球交響曲』上映会の告知を手伝ってくれたり、KNOBさんのトークライブを主催した「21時から倶楽部」主宰シンマさんと3人で会場に向かう予定だ。

『ガイアシンフォニー地球交響曲』上映会に参加した仲間たちと会場で会えたら嬉しい。

 全ての存在は繋がっている・・・
 「ガイアシンフォニー地球交響曲」監督、龍村仁

「ガイアシンフォニー地球交響曲」より

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