見出し画像

「多国籍ツアー、トレックアメリカ社が48年の歴史に幕を閉じた・・・」

えっ、マジ?
一瞬、アタマが真っ白になった。妻の美香と泣いた。

多国籍ツアー、トレックアメリカ社が48年の歴史に幕を閉じた。美香が泣きながら、こんなページをつくった。

何が起きてもおかしくない世の中にはなったけど、全米でスモールグループツアーとしてシェアNo.1の実績があって、あの9.11 米国同時多発テロを生き残ったトレックアメリカなら、心のどこかで大丈夫だろうと思っていた。というより思いたかった・・・なぜなら、多くの隊員(お客さん)たちの人生を変えた旅であり、何より俺自身の人生を変えた旅だったから。

俺の人生は旅でできている。でも、最も影響を受けた旅がトレックアメリカツアーだった。

21歳でトレックアメリカと出会い、会社がなくなっても、去年まで数名送り出していた。だから37年トレックアメリカとつきあってきたことになる。トレックの社長から、「世界で君ほど長い間、トレックアメリカを販売した人はいないから、心からリスペクトしている」と言われた。1996年(株)エクスプローラ創業当初はトレックアメリカを紹介するのが俺のライフワークでもあった。

トレックアメリカがなければ、「地球探検隊」コミュニティはなかったと言い切れる。そして、美香との結婚もなかったかもしれない。
「2人でトレックアメリカを本気で売っていこう!」そう誓い合った仲なのだ。それくらい大きな存在だ。家族3人でトレックアメリカのファミリーツアーに参加する夢も消えた。

なんだろうーこの感覚は・・・「トレックロス」。むしろ自社、22年経営してきた(株)エクスプローラがなくなった時より精神的ダメージは大きい気がする。

画像2

お爺ちゃん子だった俺は、一緒によく映画「西部劇」を見て育った。最初にテレビドラマにハマったのも、最初にレコードを買ったのも、北海道の牧場を舞台とした夏木陽介主演のテレビドラマ『太陽野郎』だった。
そして、テレビ西部劇、「ララミー牧場」ロバートフラーにも憧れを持って観ていた。俺にとって、アメリカ西部モニュメントバレーがアメリカの原風景で、いつしか牧場で働くことやカウボーイになることを夢みた。

だから、1983年3月、初めてトレックアメリカを知って「マールボロ」のCMのようなパンフレット写真を見たとき、子どもの頃からの夢が実現できると思った。

カウボーイにはなれなかったけど、この旅を知った時の衝撃は今でも憶えている・・・。

今日までvoicyラジオで4日間放送した隊員ゆうこと一緒に行った旅は日本人同士で行く「大人の修学旅行」だったが、トレックアメリカが創ったグランドサークルツアーを日本人だけで貸切した旅。すでに収録済みで、今後voicyラジオ放送予定の隊員コーダイモトナオも、トレックアメリカツアー参加者だ。そして、新著「ようこそドラマチックジャーニーへ」も、トレックアメリカに参加した隊員コーダイはじめ多国籍ツアー体験談満載の本だ。

エクスプローラもトレックアメリカもなくなったけど、エクスプローラ・スピリッツ、トレックアメリカ・スピリッツは永遠だ。

画像2

だから、カタチを変えて、「大人の修学旅行」が誕生したように、また、カタチを変えて、そのスピリッツを伝えていくコミュニティを大事にしたい。新たなコミュニティを創っていく目的で「ようこそドラマチックジャーニーへ」を執筆したのだ。

トレッカーなみんな、トレックアメリカの思い出の写真1枚と一緒にコメントもらえると嬉しい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?