2023/1/7日記『アイドル・他者の理想の投影・チワワちゃん』
明日は三崎港に行くので手短に書く。三崎港、月1ペースでいってるな。平日の方が好きなのだが(日曜は人が多すぎる&バスが激混みする&おちつかない(静かな場所が好きなので)。日曜日のいいところは、店がいつもより多く空いててにぎやかでワクワクする)、仕事やらなんやらで明日しかいけない。
起床後、線画しあげ。渋谷の旧宮下公園。
ジョナサンに行ってiPadで色塗りしようと思い、7時5分くらいに行ったら閉まっていた。
コメダで作業。たまごトーストに塩をかけすぎた。おいしかった。
帰宅後、オカンが七草粥を作ってくれたので食べる。昆布いっぱい入れたらおいしかった。熱いまま食べたら、上顎の皮がトマトの薄皮みたいに剥がれた。
読書やらマンガ読みやらだらだらとイラストを進める。岡崎京子さんの『チワワちゃん』を読む。高校生(中学生だったかな)2人がぶらぶらしてオールしたり昔の思い出の花畑に行こうとする話がめちゃくちゃ好き。
表題作「チワワちゃん」を改めて読んで思った事をダラダラと書く。オチを言うと、『アイドルはすごい』と思いました。
1/5、日記で以下のようなことを書いたのだが、
自分のマンガやイラストに、読者がおのおの感じたことを自己投影したり感情移入したり共感したりして、おのおのの解釈をして、おのおのの血肉になっていくのはすごくうれしい。自分の感覚は、ほとんどの人間の感覚と同じであるという確信があるから。また、自分の今感じている感覚は、以前よりずっと受け継がれていた人間の祖先たちの記憶でもあると思っている。宮沢賢治さんも、自分という存在はクソデカイルミネーションの青い照明の一粒であり、いろんな幽霊のごちゃ混ぜである的なことを言ってて、その通りだと心の底から思う。自分という存在は巨大な意識集合体の一部であり、創作作品において『これは自分だけの感覚!』と思ったことは無い。自分の感覚はある程度共通するみんなの感覚だから。
これは、自分の作品においての話である。
では、作者である生身の中村に対して、『理想を投影する』『さまざまな解釈(誤解)をする』をされることはというと………メチャクチャ嫌すぎる!怖いし、目を合わせてるのに目が合ってない感じがする。数年前、個展やった時そういうお客さんがたまにいた。絵を見てくれ。
ところが、生身の人間に対してお客さんに『理想を投影』させる仕事があるなと気づいた。気付くのが本当に遅かったが、アイドルってすごい。心がめちゃくちゃにならないのだろうか。あんなに若くて細い体で、己の肉体を仏像のようにして、老若男女十人十色の欲望を受け止めているように見える。受け止めきれるのだろうか?お芝居のように振る舞うから大丈夫なんだろうか。自分の体は、絵を描くキャンバスのようなものだと思っているのだろうか。
そして、この世には『己の生身に、他者に理想を投影される』のが大丈夫な人もいるらしい。それがヘルタースケルターのりりこだったり、チワワちゃんだったりするんだろう。(追記:もちろん2人とも大丈夫ではなかった。りりこは壊れちゃったし、チワワちゃんはバラバラ死体になって捨てられる。どちらも『他者の理想』を浴びすぎた人間が壊れるまでの過程を丁寧に描いている)。自分と他者との境界線がぐちゃぐちゃになったのか、あるいは真逆で境界線をバキッと引ける人だからこそなのか、それともそこなしの承認欲求なのか、自分は普通の普通の凡人なのでわからない。世間で言う「恵まれて育った」からなのか?
今思うと、自分自身(作品ではなく作者自身に)に他人の理想を(勝手に)投影されるのが気持ち悪いのって、「本当の私を見て!」って言うようなもんで恥ずかしくなってきてしまった。「本当」ってなんなんだろう。作品に投影される分にはマジで全然平気なのに。
みんな他人に期待したくて妄想したいんだろう、と思う。だからSNSは気持ち悪いんだろうな。
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