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2023/1/5日記『犬と暮らすための準備』



起床後散歩。

帰宅してイラストの仕上げ。イラストを2つ+漫画1ページ納品。やったー。

お昼は焼きいもにしようと決めていたので、散歩がてらスーパーオオゼキに行く。
(体質的に腸内菌が少ないみたいなことを知り、どうたらこうたらで食物繊維をいっぱいとるといいよ、さつまいもをご飯がわりにするとよい、ということを昨日インターネットで知る)


公園で実食。メッッッッッッッッッッッッッッチャうまくてびっくりした。スプーンですくって食うタイプのねっとり系のやつだった。焼いても焼かなくてもカロリーは一緒だから、これから食事の際、どうせ食うなら良い調理をしてあるやつにしようと思った(食パンを焼かないで食べたりとかしないようにしようと思った)。

保育園児の集団が通り過ぎ、保育士さんに「美味しそうだね〜!」と言われる。


帰り道で見かけたカメパン



家で個展の作業。dポイントでドトールいこうと思い、三茶のドトールに移動。クソデカマフラーを巻いていけるのがうれしい。夕方までドトールで個展絵の下書きの仕上げ。


オカンが三茶にいるとのことで、回転寿司「三崎港」へ。注文がカラオケ式のタッチパネルになっていた。ありがたい。アオサの味噌汁、焼きサバ、サーモン、いなり(職人さんが「はい、おいなりさん」と渡してくれたのが良かった)、納豆巻きなどを食べる。

寿司を食べながらオカンと会話。

「もう老後のような気分だから、今のうちにやっておきたかったこと全部したいんだよね。海の近くに住むとか、犬と暮らすとか、税金もバカみたいに高くなってくだろうし、年金もどうせもらえないし、未来になんの希望もないから絶対犬と暮らす!20代はそれで耐える、久しぶりに人生にワクワクしているんだよね」

帰宅後、個展絵のラフ仕上げ。

渋谷の宮下公園






去年の末、「人間と会って喋ったり、人に会おうと誘うこと」に設けていた己のハードルをぶっ壊した。方法は割愛するが、(いま思えば)ものすごく強引なショック療法でぶっ壊した(ぶっ壊されたの方が近いかもしれない)。その結果、2022年12月以前・以降では、まったく、ガラリと、逆記憶喪失のように人生観が切り替わった。今までの26年間なんだったんだ?!!と自分でも驚いている。

『アムリタ』にて、若林朔美が頭を打って、佇まいがガラリと変わったような感じに似てるかもしれない。ただの躁転かもしれんが。

「何かあまりにも強烈な体験をすると、目の前の景色ががらりと変わってしまうという話はよく聞くけれど、私の場合のこれは、そういうことではないのではないかな、と時々思う。
わかっている。今や私は何もかもを思い出し、出生からの28年間、若林朔美としてのあらゆるエピソードや、家族構成、好きな食べ物、嫌いな事がら、私が私であるためのそういった要素を、まるで物語のように回想できるということだ。
物語のようにしかできない。」

吉本ばななさん著『アムリタ』(角川文庫)より




そんなこともあり、ここ1、2ヶ月は会ってみたかった人・前々から知ってて話してみたかった人にコンタクトをとり、会ったりしている。なんで今までこれができなかったんだ?今月も会う予定の方が複数人いる。楽しみじゃ〜。



犬と暮らすこと、本格的に考えている。
むしろ今の生きがいは「犬との暮らし」を実現させることになっている。

『なんくるない』のトラ一家が「沖縄に引っ越して料理屋をやろう」と決断してすぐ沖縄に行ったように、いまものすごく強く〇〇に住んで、絵の仕事をして犬と暮らして生活したいと望んでいる。

そう思うと、「あれ?なんか今実現できそうじゃない?」と思ったので、今度物件の内見にいく。

内見する物件、仕事場環境的にも、病院の位置も奇跡としか思えないほどの完璧さだった。できるだけ早く引っ越したい。個展前だけど、埋まってしまう前に2月には引っ越したい。1月は忙しすぎて難しい。2月が1番余裕がある。

単身者の自分はどんな犬と暮らすか、ということも考え中である。簡単に保護犬を引き取ることはむずかしいだろう。とりあえず引っ越して引っ越し先の環境に慣れておく。住民票も移して、開業届を再提出して、手帳の再申請もしなくてはならない。住民票を移さないと、犬を保健所に登録ができない。めちゃくちゃやることがいっぱいだけど、犬と暮らせるならいくらでもがんばれる。いつ犬が家族になってもいいように家の設備整えて、(住みたい家の玄関に脱走防止の柵つけたり、フローリングの床にマットを敷いたり、階段に滑り止めつけたり、仕事場のパソコンやプリンターのコードを噛まれないよう壁にカバーをつけたりする、リュックタイプのケージバッグ、広いトイレシート、洗濯できるトイレマット、座高の高いお皿、など買うものがいっぱいある)、知識もつけて完璧な状態でパートナー犬探しをしようと思う。そうと決まれば仕事をバリバリして、少しでも多くの貯金をしたい。そう思うと、仕事のやる気もバリバリ出てきた。

なんで自分はこんなに犬との共生を望んでいるのか、それはきっと自分が無意識にものすごく寂しいからだということを自覚している。

「あのね、君は淋しいんだよ。佐川さん、とても淋しくて、嵯峨くんだけでは足りないんだ。淋しくて淋しくてしかたがないんだ。そのやり場のない気持ちが赤ちゃんを熱望させてるんだ。」

よしもとばななさん著『鳥たち』(集英社文庫)より


他人でこの寂しさを埋めるということは不可能だということを確信している。婚姻届は、死ぬまで人間の孤独を消し去る証明になり得ないということを知っている。他の人間で己の寂しさを埋めるという考え自体が傲慢で、それは一見他者を見ているようで、実は自分の理想の投影をしてるだけ、というパターンがある。ある、というかそのパターンで自分は何度も失敗してきたから知っている。チェンソーマンで、マキマさんがデンジのことを全く見ていなかったように。自分がそれを他者にやられたらどすぐろい感情が湧いてしまう。自分にとって人間は安全地帯ではないので、人間以外の安全地帯を早急に見つける必要がある。


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