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ラジオのパーソナリティで心がけていること

ぼくは、恥ずかしながら、毎週ラジオでしゃべらせていただいている。

東京FM「澤本・権八のすぐに終わりますから。」という深夜ラジオで、司会進行・回し役のようなポジションで500回ほど続いている。自分が子供の頃憧れて聴いていた東京FMで自分がしゃべっているなんて、夢のような話だ。

とはいっても、番組名が表す通り、ぼくはまったく主人公ではない。
「毎週ゲスト」という謎の役回りである。

この番組のメインパーソナリティでもあり、ソフトバンク「犬のお父さん」はじめとする名作CMプランナー兼、脚本家の澤本嘉光大先生が、このラジオの第一回目のゲストで、なぜかぼくを呼んでくれたのだ。しかもそのとき澤本さんは「中村くん毎週きてね。役割はわからないから毎週ゲストでいいや」と言ってくださったのだ。

こちとら、別に何か話術に長けたところがあるわけではまったくない。
むしろ多動→早口→ろれつ回らず、のコンビネーションで、基本口調は「溶けて」いる。

そもそも、澤本さんがぼくを買ってくださっているのも、ぼくの実力ではない。
過去に澤本さんが社内のインターンシップでブログを立ち上げたかったようで
「中村さん、はじめまして。ブログ作れる?」
と、当時会ったことのない澤本さんから突然メールが届いたのだ。

 ぼくは多動性なので、仕事を片っぱしから増やしてポロポロこぼしていく性質がある。「この仕事はほかしておいたら絶対忘れるやつだ」と思い、急ぎクローズドな環境を構築して、ドメインをとって、Movable Typeというブログツールをインストールして、その日のうちに澤本さんに
「できました」
と差し出した。

一度も会ったことのない若者が、まさかそこまでしてくれるとは思わなかったのだろう。それからというもの、なんやかんやと声をかけてくださるようになったのだ。忘れないためにすぐ動いた仕事が、「無報酬でも迅速に動いてくれた」と誤解された、多動からボタモチである。

しかし、ラジオの初期はかなり煩悶もした。

ひとつは「この番組つまらないんじゃないか」ということだ。
こちとら、広告の企画こそ考えたりするものの、身体的には単なるおっさんである。爆笑問題と劇団ひとりのラジオをYouTubeで聴いて、腹を抱えてひとしきり笑ったあと、「こりゃ絶対これになれんわ」と遠い目をした。

ムチャクチャ面白いです
https://www.youtube.com/watch?v=1R9hjc9f_dM

実は、開始当初は番組の企画をたくさん出した。ラジオは大好きなのだ。リスナーと近い感じ。ここだけでしか話さない、聞かないからね、という内輪なコミュニティの感じ。

ぼくのラジオのルーツは、宮川賢氏の深夜ラジオだった。下ネタだらけの放送や、抜き打ちで素人のリスナーに深夜直接イタズラ電話をかける、タクシーの運転手を下ネタでいじる等の無茶な企画だらけであった。

ラジオの特性の中でも、いわゆる伊集院光や爆笑問題のような話術や知識といったスキルによる面白さではなく、「どうせこんなド深夜に誰も聴いてないだろうから、好きに盛り上がってしまえ」という悪ノリに結託している企画群に心を奪われた。(のちに宮川氏はお昼のゴールデンに大抜擢されたが、お昼帯にその悪ノリ性はうまく移行できていなかったように感じる)

あるときは、生放送のスタジオにうんこを置いて、3時間臭い臭いと言い続けるだけの回があり、「こんなことが公共の電波で許されていいのか」と衝撃を受けた。
直前に放送していた、林原めぐみの Tokyo Boogie Nightとの落差が激しすぎる。

しかし、プランナーの後輩と一緒に出した企画は、番組にというか澤本さんにことごとく通らなかった。理由は、「企画は面白いが、それを回すパーソナリティである自分たちが面白くないので、器が機能していない」という、きわめて冷静な判断だった。
こういう、マスに対しての客観的なバランス感覚を持っているところ、澤本さんすごいなと思う。

結局残ったのは、ゲストによる「20秒自己紹介」というコーナーだけだった。
「番組SNSのフォロワー数に応じて、女性下着をつけたり変な状況で収録する」というコーナーも少しだけ残ったが、早晩に立ち消えになった。やはり器が耐えていない、という理由だった。

そして、有名なゲストを呼びつづけてその七光で価値を保持する番組、というスタンスに決まった。澤本さん級のCMクリエイターになると、芸能界との友好関係が幅広く、豪華なゲストを呼べることが強みなのだ。

これは結構悩んだ。

子供の頃から好きだった、内輪なラジオではない。ゲストとは初見なので、いきなりディープなことを引き出せないのである。ディープなこととは、「キミ離婚したけどぶっちゃけどうなん?」みたいな話である。
ラジオって、そういうのが楽しい。

逆に、互いがかしこまった関係性のラジオは全く面白くない。宮川賢のラジオもゲスト回は面白くなかった。

しかし澤本さんも権八さんも、けっこう社会的に立場のある方なので、すべてをさらけ出すようなぶっちゃけ発言はあまりできない人である。自分の社会的立場、というよりも自分の発言のせいでクライアントに迷惑かけたりだとかをすごく気にされる。プロだなあと思いつつ、そこを封じられるとラジオって面白くなりづらいんだよな。。。と悩んだ。

悩んで、さまざまな人のラジオを聴いた。世のパーソナリティは、どうやって、自分たちがたいして面白い人ではないことと折り合いつけて喋ってるんだろうか?と。

福山雅治さんが「福のラジオ」で、「なんで福山さんそんな面白いんですか」というおたよりへの返答を聞いて、鳥肌が立った。

「まず自分が、めっちゃ面白そうに話すことが大事だよね。本当に心から面白がること」

目から、いや耳から鱗が落ちた。
シンプルにして深い。
ああこれくらいなら自分でもできるかもしれないな、と。

実は福山さんは、それ以外にもかなりの努力をされており、自分の収録を聞き直して、面白い部分を抽出していたり、おたより憑依芸をお持ちだったりするので、単純なことではないのだけど。

以降、ぼくはこれを実践し続けている。

ゲストに対して、自分が純粋に興味を持つ部分を探しておき、本当に面白そう、聞きたいと思ったことを、面白そうに聞く。30分〜1時間の短時間で、自分が相手にいかに興味を持ち、いかに好きになれるか。

相手に好きになってもらうのではなく、自分が相手を好きになることに全神経を集中する。

もちろん、事前にその人についての予習ができていると最高だが、往々にしてそこまでの時間はない。

「好きになる」をブレイクダウンすると、友愛、敬愛、性愛に要素分解される。相手を尊敬するには、その人の成長物語や知識、哲学を知ること。友愛を得るには共通点や、一緒に深掘りできるものを探すこと。性愛は、互いのフィーリングの共通点や相違点を探し、それを認め合うこと。

ちょっと気持ち悪いかもしれないが、収録が終わる頃には相手に恋していたり、心の底から尊敬したりしている。

たいてい、芸能人、有名人の方でもすごい人というのは、ルーツがあり、成長物語がある。それでいて謙虚だ。本当にその道を極めている人は虚勢を張る必要がないから。そんな彼らから、丁寧に引き出していく行為はとても楽しい。収録が終わったあと、ゲストが「なんだかすごく楽しかったー!」と言ってくださることが多くなった。

短時間でゲストが居心地良くなっていただいて「他所じゃこんなこと言わないけどね」という雰囲気をつくれたら、その回はたいてい面白くなる。

自分が子供の頃憧れたラジオのスタイルではないのはちょっと寂しくもあるけど。そんなことを考えて話しています。

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