上映会 in 仙台

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昨日仙台で『真実を教えて下さい2』の上映会があった。会場には200人以上が集まった。大阪でやってもこれだけ集めるのは難しいはずで、大盛況だったと言えるだろう。
このドキュメンタリーは、見ていて楽しくなるものではない。大事な身内を亡くした遺族の話ばかりなのだからそれは当然で、どちらかというと気が滅入るような内容である。しかし、同時代を生きる人々の証言として、一度は見ておかないといけない。見た後に、心に何かが残るだろう。それは、遺族のやりきれなさかもしれないし、マスコミ報道との落差かもしれない。とにかく、この映像を見る前と後とでは、ワクチンの何たるかについて、考えが変わると思う。
昨日集まった200人のなかには、僕の情報発信を定期的にチェックしている人が多かった(上映会終了後多くの人からお声がけ頂いた)。だから、昨日の200人はワクチン接種率が比較的低い集団だったと思う。それでも、僕のことを知らない人も当然多くいたし、接種をすでに済ませた人もいただろう。接種済みの人にとって、このドキュメンタリーは不愉快だったに違いない。コロナワクチンで多数の死者が出たことを認めるということは、接種した自分の判断が誤りだったことを認めることでもあるから。だからこそ、既接種でありながらこのドキュメンタリーを見に来てくれた人には、一層の敬意と感謝を表したい。過去の誤りを認め方向転換することがどれほど難しいことか。空前絶後の超過死亡数が記録されるなかで、いまだにあのワクチンを推進する学者連中を見てみるといい。「ああ、打ったのは失敗だったな」と認めること。簡単なようにも思えますが、これを認めるのは学者にさえ難しいことなんです。

上映会の後に、ワクチン遺族のすーさんが登壇した。今回の上映会に多くの人が集まったのは、皆すーさんの言葉が聞きたかったからである。
僕や鵜川さんは、人前で話す経験はそれなりに積んでいる。しかしすーさんは一般女性である。人前で話す経験なんてほとんどない。その彼女が、今回200人を前にして自分の経験を話すことを決意した。それも、愉快な経験を話すわけではない。できれば思い出したくもないようなつらい経験を話す。大変なプレッシャーに違いない。しかし同時に、すーさんはこんな危険なワクチンがいまだに接種励行されていることを許しがたく思っている。また、SNS上には、夫を亡くしたことをデマ呼ばわりする声があるし、『デマ』だと断定する政治家さえいる。
「声をあげたい」とは常々思っていた。その機会が、ついに訪れた。
すーさんの話はドキュメンタリーでも紹介されているが、本人の口から実際に語られる内容は、ドキュメンタリーよりもはるかに生々しかった。父親の死が4人の子供にどのような衝撃を与えたか。また、夫の死亡について役所や医者に相談に行っても、ろくに相手にされないやるせなさ。会場ですーさんの話を聞いた人には、しっかり伝わったと思う。「ワクチンで家族を失うとこういうことになるのか」と。

東北有志医師の会の代表を務める後藤均先生とお会いし、お話しする機会を得た。
後藤先生はコロナ騒動の初期からその異常さに気付いていた医者の一人で、自身のホームページなどで積極的に情報発信してこられた。
後藤先生は行動の人である。何事においても、すぐ動く。「あのワクチンは何としても止めないといけない」その思いから、単身仙台市医師会に乗り込んだ。医師会の会長は大学時代の同級生である。さらに言うと、出身高校も同じ。「ワクチン接種中止を求める請願書」を医師会に提出するなどと遠回しなことはせずとも、会長に直接会って話して、ワクチンの危険性を伝えれば一番早い。
しかし話が通じない。高校時代や大学時代の思い出話なら、いくらでも乗ってきて笑いあえる同級生が、ことコロナワクチンの話となると、完全に“お役人”の顔になる。「厚労省から接種を推進するようお達しが来ている」「ワクチンの有効性、安全性については十分なエビデンスがある」そういう主張を繰り返すだけで、話がかみ合わない。
「こういうことは以前にもありました。仙台市の水道事業が外国資本に売却されそうになったとき、私は仙台市医師会に直談判に行きました。『水は命の源です。ここを外国に牛耳られたらどうなりますか?水に何を入れられるか、分かったもんじゃない。市民の健康が脅かされています。市民の健康に責任を持つのが医師会でしょう。医師会として、水道事業の民営化にぜひ反対の声をあげて欲しい』でもダメでした。こういう話になると、彼の顔は能面になる。まったく聞いてもらえません」
怖いと思った。医師会会長は後藤先生の言ってることが理解できなかったのではない。すべてを理解した上で、なお、後藤先生に同調することを拒否した。医師会の方針に私情をはさまない。たとえ同級生からの言葉であっても、組織の方針に盾突くものであれば、冷淡に突き放す。そのときの彼は、同級生というよりも、巨大なシステムを構成する一個の歯車になっている。このシステムは情実に左右されない。融通がきかなければきかないほど、システムとして優秀ということになる。
人間の二面性。ナチス高官の話を思い出した。昼間はユダヤ人をガス室に送る作業に従事しているが、仕事を終えた夕方、コンサートに行きモーツァルトの美しい旋律に涙を流す。彼の中では矛盾していない。矛盾のように思えるけれども、人間の精神はこの矛盾を余裕で内包するほど莫大に広い。
同様に、この医師会会長にも愛する子供がいて、孫がいる。会えばバカ話をして笑いあえる同級生もいる。しかし、ワクチンの危険性を知りながらも、接種事業は遅延のないように粛々と進める。同級生の忠言をいれて、家族にワクチンを打たせることはない。しかし組織として接種事業を中止することはあり得ない。そのワクチンでどれほど多くの後遺症や死亡が起こるか、深く想像をめぐらすことはない。
接種事業を推進してきたのは(今も推進し続けているのは)、このシステムである。上意下達の機械のようなもので、個々の歯車は感情を持たない。歯車であるナチス高官や医師会会長が特に悪人というわけではないと思う。逆に、ワクチン接種の危険性に気付いて声をあげている僕や後藤先生が、特に善人というわけでもない。
善とか悪とか、そういう話ではないんだな。僕はただ、怖いです。一人の人間のなかで善も悪も当たり前に両立できる深淵みたいな人間精神の広さが。

後藤先生「ちょっとした救いがあるとすると、たとえばこの統計。これを見てください。

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青森、秋田、岩手など、東北の3回目接種率はかなり高いほうなんですが、宮城の接種率は東北で一番低いです。私が早くからコロナワクチンの危険性を訴えてきた成果が、このあたりの数字に出ているのかな、と思うと、自分の活動も無駄ではなかったと思います」