愛の必要性

科学は人間の幸せのためにある。
一応そういうことになっている。でも、単なる建前かもしれない。科学の生み出した原子爆弾によって、どれほど多くの人が亡くなったことか。科学がもたらした不幸の数を指折り数え始めれば、指が何本あってもたりないだろう。
科学は人間の幸せのためにある。
それでも、たとえ建前であっても、この言葉をなくしてはいけないと思う。科学者は健忘症だから、いつも暴走する。何のための科学だったかを忘れて、人間を犠牲にしまくる。
以前のブログで731部隊について書いたことがある。医学的な仮説を検証するとき、動物ではなく人で実験するのが一番手っ取り早い。「ネズミで成り立つ現象は人間でもだいたい成り立つ」ものだけど、この「だいたい」というところがくせもので、成り立たないこともけっこう多い。研究者としてはそういう遠回りは避けて、しょっぱなから人で実験したい。さらに人を相手にやるメリットとしては、意思疎通ができることである。たとえばある種の薬剤を猿に投与したら、部屋の隅にうずくまった。なぜか?腹部が不快なのか、頭痛に苦しんでいるのか、あるいは抑うつ症状によるものか。言葉を持たない猿では、何が起こっているのか推測するしかない。しかし人相手なら症状を詳しく聞くことができる。
科学者はいつももどかしい。「倫理の縛りさえなければこの研究をもっと進めることができるのに」と。しかしそれでは何のための科学なのか分からない。人を幸せにするための科学が、人を犠牲にしてはいけない。建前かもしれないけど、この建前は大事にしたい。
731部隊やナチスドイツによる人体実験により生理学が飛躍的に進展し、人体への理解が深まったという側面はあるかもしれない。しかしこれを手放しに肯定することはできない。戦後、ジュネーブ宣言(1948年)やヘルシンキ宣言(1964年)などで人体実験の禁止が明文化されたのは、「科学は人間の幸せのために」という原則を改めて強調するためだった。

科学は人間の幸せのためにある。
この原則を忘れた科学者が、どんな実験をするのか、その一例をここにお目にかけよう。
実験【人間は愛情を知らずに育つとどうなるのか?】
まだ自我のない乳幼児でさえ、母親に対して愛着を抱いている。考えてみれば不思議だと思いませんか?赤ちゃんは、なぜお母さんのことが好きなのか?昔から多くの学者がこれを不思議に思っていた。様々な学者が様々な説を唱えていたが、20世紀半ば頃までフロイトの愛着理論が有力だった。「母親は赤ちゃんの生理的欲求を満たす。おなかが減ったらおっぱいを飲ませてくれ、おむつが不快になれば取り換えてくれる。そういう自身の生理的欲求を満たしてくれる人に愛着を抱くのは、生存にとって適応的である」とする考え方。みなさんも「なるほど」と思いませんか?
しかしこの理論には、裏付けがない。フロイトが頭の中で考えただけの「説」であって、事実である保証はどこにもない。つまり、科学ではない。ある仮説が科学に昇華するには、検証されねばならない。

ルネ・スピッツの実験
乳幼児に食事(ミルク)を与えたり、排せつの世話はするが、それ以外のこと(話しかけたり、アイコンタクトしたり、触れ合ったり)は一切しない。これにより児の心身の発育にどのような影響が出るかを観察する。

https://www.youtube.com/watch?v=iW3UHcYfCPI&t=1s

「第2章感情欠乏性疾患
7)部分的情動剥奪(依存的抑うつ)
月齢6か月から18か月の間、母親(およびその代理となる養育者)がいなければ、分離から最初の2か月で児の発達に遅延が見られ始める。児は次第によそよそしくなったり、泣き叫んだりするようになる。

分離から3か月目には、児の母子分離は決定的となり、病態に特徴的な姿位が出現し始める。表情はますます固く、発達レベルは退行する。

生まれてから最初の一年のうち5か月以上母親と引き離された児は、進行性に悪化してゆく。無気力になり、運動性が低下し、体重増加や成長が停止する。表情は空虚になる。活動性は、非定型的かつ奇妙な指の運動のみとなる。歩いたり話したりすることはおろか、座ることも立つこともできなくなる。

【症例】69
【年齢】9か月8日
母子分離6か月

【症例】80
【年齢】10か月8日
母子分離7か月

症例の37.3%で全人格の進行性悪化が観察された。これにより栄養失調性消耗症に陥り、最終的に2歳前には死に至る。

【結論】
小児の心因性疾患を精神障害および感情欠乏性疾患に分類することが示唆される。この分類の背景にある病因学的因子は、精神障害においては母子関係の質、感情欠乏性疾患においては母子関係の量である。
この分類により、治療および予防的精神医学において有用な視座を得ることができる」

食事やら下の世話をしてくれる人がいても、それだけでは2歳にもならずに死んでしまうことがわかった。フロイトの愛着理論を否定した画期的な仕事なんだけど、なんというか、そんなことはどうでもいいくらいに、ショッキングな研究である。「人はパンのみにて生くるにあらず」と聖書にあるように、僕らが生きていくには食事以外のものが必要であるようだ。それはお母さんのおっぱいのぬくもりであったり、お父さんの「いないいないばぁ!」であったり、親戚のおじさんのなでなでや抱っこであったりする。ありていに言うと、愛である。おっぱいのぬくもり感じて、抱っこされて、なでなでされて、そういう愛を心に吸収して、僕らは育つ。これは比喩じゃない。「僕らの成長には、愛が必要である」この人体実験が証明したのはそういうことだった。

でもありがたいのは、乳幼児期にしっかり愛を吸収すれば、その後は特に愛がなくても生きていけることだ。それが証拠に、僕の母はすでに亡くなったけど、僕は元気にやっています(笑)今この世にいなくても、その人の記憶がある。愛された記憶、ぬくもりの記憶。この記憶さえあれば、80年90年の人生を乗り切っていける。特に誰も愛してくれなくても(笑)当たり前のようだけど、考えてみればこれってすごいことだよね。