why

最近、引越しを考えている。
ネットで賃貸情報を調べて、めぼしい物件を見つけては不動産屋に連絡し、実際に内覧させてもらう。
そういう具合にいくつか物件を見ているうちに感じたのは、物件を案内する不動産屋の兄ちゃん(たいてい20代〜30代の若手男性社員)たちそれぞれの実力差である。

仕事自体は、特に難しくはないだろう。見込み客である僕に、物件を紹介する。基本的にはそれだけのことだ。
しかし、それだけのことなのに、仕事ができる人できない人の実力差がモロに出る。

あるチャラ男みたいな社員がいて、彼は内覧する待ち合わせ時間に遅れた。しかも物件のエントランス(共用玄関)の鍵を持って来るのを忘れていた。この人は論外で、仕事ができるできない以前の段階だった。
しかし仮にこの人の紹介してくれた物件がすばらしいものであったとしても、できれば断りたい。こういうなめた仕事をする人の世話になりたくないんだな。
以前のブログで「人はwhatやhowで動かない。人を動かすのはwhyである」という話をした。
日常品を買うときなんかはwhatが基準でいい。百均で何か買うときなら、このチャラ男みたいな接客でも関係ない。でもある程度高額な商品を買うときとか住む場所を決めるとか、それなりに大きな選択をするときは、whyにこだわりたい。ちゃんとした人から買いたい。

できる人の気遣いには感心させられる。エレベーターに乗るときや降りるときにエスコートするのは当然かもしれないが、沈黙して気づまりになりがちなエレベーターの中で、さりげなく話題を振って、変な空気にしない。
うまいなぁ。こういう人は、当然女性を口説くのもうまいに決まっている^^
逆に、できない社員は、こういうさりげないトークも総じて下手くそだった。もちろん、トークのうまい下手は本質ではない。気遣いがにじみ出た結果が、トークに反映されているだけのこと。根っこはやっぱり、客への気遣いなんだ。
なまじっか頭のいい社員は、ここでhowに走る。変に勉強して『人の信頼を得る会話術』(こんな本があるか知らんけど)なんて本を熱心に読んでて、そういう知識を現場で生かそうとする。そういうのじゃないんだよね。

「この窓はどちらを向いていますか」と聞いてみる。返答に詰まるようでは嫌だな。特に僕の場合、日当たりのよさを条件に挙げているわけだから、事前に調べておいて欲しい。
「先週、三宮にある〇〇という物件を内覧してきました」と話を振ってみる。打てば響くような即答で「ああ、あそこは今7階と8階があいていて、日当たりは7階のほうがいいですね」うむ、できるなぁ。よく勉強している。
「ああいうお部屋が好きでしたら、元町駅の南側こういう物件がありますが、どうでしょう?」とさりげなく提案してくる。
仕事を知り尽くしている感じが伝わってきて、何か安心感がある。プロはこうあるべきだと思う。
物件が僕の条件に合うかどうかというのは当然あるから、紹介できる物件数の少ない不動産屋の社員では、ちょっと難しいところがある。それでも、同じ世話になるのなら、こういう人がいい。

できる人には、何か、こちらのほうに共感させるものがある。
仕事への熱心さとかこちらへの配慮とか、相手の胸にある熱意のようなものを感じると、僕のほうでもそれに応えてあげたい、応援したい、と思ってしまう。

自分のなかの、こういう感情が不思議だ。20代のときは部屋探しするにしても、whatしか見ていなかった。僕もずいぶん変わったんだな。
クラウドファンディングを募っている人に出資するということは、その人の持つwhyへの共感なくしてあり得ないと思う。なかにはその人が成功してからのリターンを求めて、投資として金を出す人もいるかもしれないけど^^;

スティーブ・ジョブズには明確なwhyがあった。『PCに革命を起こして、世界を変えたい』彼の熱意は本物だった。しかし、whyだけでは夢は叶わない。そのwhyを実現させるためのhowが、どうしても必要だった。
そこでジョブズが目をつけたのが、当時ペプシコーラ社長のジョン・スカリーだった。
ジョブズはスカリーにこう言った。
「そうやって一生砂糖水を売り続けるのか?それとも、俺と一緒に世界を変えるか?どちらがいいか、選んでくれ」

合理的に考えれば、答えはわかっている。1981年当時、Appleはまだまだ無名の会社だった。そういう正体不明の会社に移るのと、今の安泰な生活、どちらをとるのか。足し算ができれば、答えは明らかである。
しかし、ここが妙なところで、人間は必ずしも損得で動かないんだ。
誰かの胸の熱い思いを感じると、たとえ失敗して手ひどいダメージを受けたとしても、この人の夢に乗っかりたい、一緒に進んで行きたい、という衝動を抑えきれないんだ。
こういう傾向は、特に男に強いようだ。女性のほうが理性的で、頭がいいのだろう。男はバカだから、ときには無謀な大バクチを打つ。
ペプシコーラの社長もジョブズの殺し文句にやられた。安定の地位を捨てて、ジョブズの夢に賭けた(逆に、ジョブズからあんなふうに口説かれて、断る男がいるかな?)。そしてジョブズに強力無比なhowを提供し、Appleの躍進に貢献することになった。

ジョブズというのはチェ・ゲバラのような革命家の魅力があったんだね。
僕の胸のなかに彼ほど強いwhyがあるかどうか。それはわからない。
ただ、患者に毎日のように「そうやって一生砂糖水を飲み続けるか、それとも健康になって人生を変えるか」という二択を迫っているようなところがあって、そこらへんはちょっとだけジョブズに似ています^^