素敵な50代

患者から学ぶことは多い。病気についてはもちろんだが、僕は患者から「人生」の何たるかを教わっている。病歴の聴取が、そのまま患者の人生遍歴になっている。
たとえば、問診票に「出産回数:3回、子供:1人」とある。数が合わない。主訴が婦人科系疾患であることもあって、この点について聞いてみると、「先生、ご存知でしょうか。ある週数以降の妊娠中絶は死産届を提出しないといけません。22週以降の堕胎は法律で許されませんが、その前ならおろせます。20週くらいの胎児はずいぶん大きいものですから、出産のスタイルで中絶します。そういうことが2回ありまして、、」と語るうちに、患者の目に涙が浮かんできた。こんな具合に、問診をしながら、患者の心の奥深くにしまってある古い記憶に触れてしまうことがある。「人に歴史あり」なのだといつも教えられている。

ある50代女性がこんなことを言っていた。
「子供が二人います。今年19歳の娘が一浪して大学に合格し、18歳の息子も現役で大学に合格しました。二人ともこれから県外に行って、一人暮らしです。二人の子供に去られて、私、急に一人になりました。
すぐ近くに85歳の母が住んでいて、私が毎日面倒を見ています。心臓がよくないということで薬を処方されていますが、元気がありません。年々弱っていく印象です。
私のもとを去っていく子供たち。そして、衰えていく母
人生ってこういうことなのか、とふと思うんですね」
こういうこと、とはどういうことでしょう?
「うーん、うまく言葉にできないんですが、、50代というのは、ちょうど人生の折り返し地点のような感じがします。若さあふれる20代の子供世代が、私のような50代を突き上げて端っこに追いやっていく。50代の私は、年老いた80代の親を介護して、その最後を看取っていく。こういう流れなんだなぁ、って」
分かる気がした。50代は、もう若くない。かといって、老いているわけでもない。下の若い世代、上の高齢世代、両方を俯瞰で見ることができて、人生の「流れ」を一番強く意識するのが50代かもしれない。

40代の僕にとって、今50代の人たちは、常に僕の憧れでした。たとえば、僕の妻(43歳)がこんなことを言う。
「13歳のときからずっとましゃ(福山雅治)が好きで、毎週ラジオを聞いてたし、出演するテレビも欠かさず見てた。ライブにも数えきれないくらい行った。本当に好きで、好きすぎて、子供が生まれたら雅治って名前にしようって思ってた(笑)」

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分かる。僕も福山雅治、カッコいいって思ってた。CDも何枚か持ってた。13歳の中学生から見ると、23歳の福山雅治は神様みたいに輝いていた。
これは福山雅治のようなスターばかりではなく、一般的に言えることだと思う。つまり、10代にとって、20代のお兄さんお姉さん世代はキラキラしていて、やることなすことすべてがカッコよく見える。首が反り返るほど仰ぎ見る存在なんだ。
もちろん、こういう憧れはやがて薄れていく。自分が実際に20代になってみると、全然キラキラしていない。かつて仰ぎ見た今30代の人たちのことを、さほど魅力的とも思わない。期待が幻滅に変わったりする。
30代40代になると、20代の若さをうらやましがることさえある。ないものねだりが人生なんだよなぁ(笑)

13歳の僕は、23歳の人とまともに話をすることなんてできなかった。でも今、40代の僕は、50代の人と対等に話している。あと30年もすれば、70代、80代として、僕らは同じ高齢カテゴリーにくくられることになる。年齢を重ねるにつれ、10歳の年齢差が“消滅”してしまったわけだ
僕は、何かこのあたりに人生の不思議を感じる。
「何を当たり前のことを言っている」と思われますか?
うーん、分からない人には、分からないかもしれない(笑)

そう、10歳上の世代への憧れは、やがて消えていく。
それでも僕は、今50代の人たちを“人生の先輩”だと思っています。「こんな50代になりたいな」とか「こういう50代は嫌だな」と思いながら、50代の先輩の人生模様を見ています。生きていれば必ず通る道だから、参考にさせてもらってるんですね。

コロナはろくでもないものだけど、コロナのおかげで得た数少ない“よきもの”のひとつとして、魅力的な50代とたくさんつながれたことがある。鵜川さん、油屋さん、細谷さんなど、みんな活き活きしている。こういう50代の言動が、僕には一番響きます。弟がお兄ちゃんのやってることを見て真似る、というのと構造的には同じです(笑)

人生に希望を持ちたい。この人生は、生きるに値するんだ、と断言したいんです。
ビッグファーマに乗っ取られた医学の腐敗ぶりとか、殺人ワクチンの接種事業がどう頑張っても止まらない現状とか、僕は現代の負の側面を見過ぎてしまいました。そのせいで、半分あきらめているところがあるんですね。
「DSに勝てるわけがない」「ウクライナの次は中国でしょ」「コロナの次は戦争。これで日本は終わり」
悲観的になる材料には事欠かない。冷静に考えれば、多分、もうダメだろうと思う。
でも、僕のお兄ちゃん(50代の人たち)が、すごい前向きに、希望を持って活動しているものだから、僕も乗せられてしまう。「未来は明るい!」そう信じていいような気分になる。
僕だけなら、ニヒルでよかった。自分が死んだら、それで終わり、だから。でも子供ができてしまった。バトンを渡す次世代が生まれたわけです。
嘘でもいいから、やせ我慢でもいいから、「人生は最高やぞ!」と子供に言える。そういう親でありたいんです。

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