永遠にマスクしとけば(笑)

このクソ暑いなかで、皆さんマスク着用、ごくろうさまです(笑)
コロナが始まって3度目の夏。飽きずによくやりますね。本当に感心します。

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僕の昔の記事を見てもらえれば分かると思いますが、僕はおととし、去年あたりは、みんなのマスクを外させようと頑張っていました。講演会でもマスクの無意味さについてよく触れていました。
この炎天下にマスクを着用していることの狂気を訴えたり、マスクは感染症対策であるどころか、細菌が繁殖して病気の温床になり得ることを説明したりしていました。
でも最近は自分の無力を悟って、そういう努力はやめました(笑)
考えてみれば、マスク社会もそんなに悪くないな、と思い始めました。それどころか、ずっと着けておけばいい、くらいに思っていますよ。自分が着けるのはまっぴら御免ですが。
たとえば、歩きタバコ。最近見ないですね。マスクつけながらタバコ吸えませんものね。あと、道端に痰を吐いたり、ガムを吐き捨てる人。これも減りました。痰を捨てるのに、いっぺんマスクを顎にずらさないといけないというそのひと手間のせいで、痰吐きを思いとどまるみたいです。タバコのポイ捨て、痰、ガム。そういうのがなくなって、街の美化につながった。マスクの思わぬ効用ではないでしょうか。

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数日前、須磨海岸に行きました。今年は海水浴場、開くんだってさ。
まだ海開きじゃないけど、砂浜には人がたくさんいた。そんななかにも、やっぱりいましたね。マスク着用者が。6月のカンカン照りの太陽の下、砂浜で海風を受けながら、マスクしてる。
いや、もはや見慣れた風景ではあるんですよ。この2年間、さんざんデタラメを見てきました。ワクチンを打って人が死ぬという、最上級のデタラメに比べたら、炎天下のマスクぐらい、笑って済ませられるレベルなんだけど、それでも何というか、世をはかなむような気持ちになりました(笑)人間って、ここまで自分の頭で考えることをやめられるんだなぁって。

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この2年間、情報提供を続けてきました。僕がやってきたのはそれだけだと言ってもいいくらいです。「マスクを着ければSpO2が低下し、特に小児では低酸素血症に起因する様々な症状が出現しますよ」そういう情報を提示します。でも僕は、だから「マスクを外せ」とは言わない。
「人々全員がマスクする“マスク社会”になることで、特に小児では、顔認識や顔認知の能力が育たず、表情から感情を読み取ることが苦手になるなど、社交性を養う上でデメリットがありますよ」そういう情報を提示します。でも僕は、だから外せ、とは言わない。
そう、僕は誰に対しても「マスクを外せ」と言ったことがありません。「マスクを着けろ」とも言わないし、外せとも言わない。本当ですよ。嘘だと思うなら、当院の患者でもスタッフでも、誰でもいいから確認してみてください。僕に「マスクを外せ」と言われた人は、皆無のはずです。
この2年間、当院でもスタッフの出入りがいろいろあって、中にはコロナ脳でずっとマスクをしてる看護師や事務員もいましたが、僕のほうからは何も言いませんでした。マスクつけたまま「今日からお世話になる○○です。よろしくお願いします」とあいさつして、数か月働いて、「お世話になりました。ありがとうございました」と辞めていった事務員がいました。僕はその人の素顔をついに見ることはありませんでした
僕としては、ちゃんと仕事さえしてくれれば何も言いません。マスクをするかしないか、というのは、巨人ファンか阪神ファンか、ぐらいに無意味な属性だと思っています。したい人は着ければいいし、したくない人は外せばいい。
もちろん、「こんな関係性は異常だ」という思いもあります。僕はこの事務員と街で再びすれ違っても、認識できないと思う。今こうやって書いてるときでも、その事務員の顔を思い出せないぐらいだから。数か月うちのために働いてくれたスタッフなのに、顔も思い出せない。何だか寒々しいよね。
でも世間自体がそういう方向に動いている。今小学校2年生の子は、同級生の素顔をほとんど見たことがない。互いの素顔を見ないままで、感情のぶつけ合いってできるんだろうか?誰かと親しくなったり、誰かのことを好きになったり、できるのかな?
以前の記事で、ある小学校の先生を紹介した。このコロナ禍でほとほと消耗してしまい、ついに「教員やめます」と当院に来られた先生。この先生は、マスクが異常だと思っている。それで生徒に言うわけです。「マスク外してもいいからね」誰も外さない。体育のときは、熱中症のリスクがあるから、いつもより語気を強めて言う。「しんどかったらすぐに外せよ」それでもほとんど誰も外さない。
マスクを外すように強く言うと、何か不当な人権侵害をしているような目で見られます。それは、妙な言い方ですが、パンツを脱ぐように強要している感覚に近いかもしれない。
先生、いいですか。子供たちは、この2年間で、マスク生活にすっかり適応してしまったんです。マスクが異常だというのは、私や先生のような、もはや“古い世代”の価値観です。この価値観で子供たちと接しては、むしろ反発されます

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これは、ある意味ワクチンよりも根深い問題かもしれない。コロナ禍が終わっても、“マスク文化”は残っていくと思う。たとえば、タクシー運転手の“正装”は、背広、白い手袋、マスクというのが標準になるかもしれない。飲食業とかサービス業でも残る気がする。
マスクをするかしないかは本人の判断によるべき、とは思うけれども、個人的に、ぜひ外して欲しいと思う職種がある。
それは、警察と自衛隊です。
警察は市民を犯罪から守る。自衛隊は他国から日本を守る。どちらもありがたい存在だと思うけれども、それは平常時の話です。
このコロナ禍というのは戦争みたいなもので、オーストラリアやカナダで警察がコロナ規制に反発する市民相手に暴力をふるっている映像を見た。

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警察や自衛隊には、“力”が与えられている。その力が、外側(犯罪者であったり侵略国家であったり)に向けられているのならいいけれども、それが内側、つまり市民に向けられた場合、こんなに恐ろしいことはない。
警察官や自衛隊員がマスクしているのを見ると、正直怖いです。拳銃やライフルなど、いわば“暴力装置”を持った存在が、顔を隠して勤務しているわけです。これ、めちゃめちゃ怖いんですけど。武器を持った覆面強盗と同じように怖いですよ。
こういう職業に従事している人は、顔をきっちり見せてください。“感染対策”が必要ということなら、フェイスシールドでもかまいませんから(意味のなさでは同じですけど)。
国を人体にたとえると、警察や自衛隊というのは免疫部隊です。平常時には、異物の侵入に対して体を守るありがたい存在ですが、自己免疫疾患になると自分の組織を攻撃し始める恐ろしい存在でもある。
どうか、顔を明かして、僕ら市民を安心させてください。