警察犬競技会

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10月3日、福井県で警察犬の競技会があった。
これは、お遊びではなく、“ガチ”の大会である。訓練士の多くは警察勤務のプロで、彼らの調教した警察犬が実際の犯罪捜査にも活用されている。プロの訓練士が、この日のために本気を出して調教し、その成果を披露する。そういう大会である。
歴戦のつわものが参戦するこの大会に、あろうことか、うちの子(ロン)が参加することになってしまった

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いや、絶対無理やろ(笑)
と思ったが、ロンをときどき預かってくれる訓練士のN氏の見立ては違った。
「いえ、この子は優秀です。明らかに学びたがっています。適切に調教すればかなりいい線いくはずです」
ロンは僕が初めて飼った犬だから、この子が他の犬と比べて頭がいいのか悪いのか、僕の中に基準がないのだけれど、頭の良さを感じることはちょくちょくある。たとえば、僕の言葉を驚くほど敏感に聞き分ける。日常会話のなかで「散歩」というワードを言おうものなら、すぐさますり寄ってきて、「早く行こう」と催促される。うっかり「さ」と「ん」と「ぽ」を続けて発音しては、仕事の中断を余儀なくされることになるから、僕はロンの前では言葉を選んで話すようになった(笑)「ボール持ってこい」といえばボールを持ってくるし、「タオル持ってこい」といえばタオルを持ってくる。その名の通り、レトリーバー(retriever)だから、そういうものかもしれないが、それにしても感心した。「頭のいい奴だな」と。
有機ゲルマニウムを与えていたおかげかもしれないし、休日にはいつも山に一緒に登ったり走ったりしてたくさん遊んでやったおかげかもしれない。

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競技科目には複数ある。ざっと、「追及」「選別」「警戒」「服従」である。ちょうど子供の受験科目でいうところの「算数」「国語」「理科」「社会」みたいな(笑)
すべてを受験するわけではなく、ロンが参加するのは「服従」だけ。この「服従」部門にはアマとプロがあり、うちの子は「警察犬種 プロ」の枠で参加した。

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この枠に参加したのは全部で22頭。この22頭で優勝を競うことになったわけだが、結果はどうなったか?
ロンの得点は、86.2/100点。なんと、全体の中で4位という好成績で、敢闘賞を頂いた

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賞状
「右の犬は(略)当初の成績を得たのでこれを賞します」

「右の犬は」というフレーズがとてもいい(笑)何度読んでもニンマリしてしまう。
好成績だったからといって、豪華な賞品がもらえるわけではない。ただ、おやつがもらえた。

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トロフィーよりも表彰状よりも、ロンにとってはこっちのほうがうれしいに違いない。
僕としては、頭のいい犬であってもバカ犬であっても、関係ない。ロンはロンである。1位になろうが最下位になろうが、変わらず可愛い我が子だ。でも、我が子が優秀であることはもちろんうれしい。自分に子供がいたとして、お受験に合格すれば、こういう気持ちになるのかもしれない。

そう、僕にはロン以外に子供はない。しかし、2年ほど前から一緒に暮らしているパートナーがいる。その人と初めて出会ったのは3年ほど前で、僕が飲み屋でナンパした(笑)何となくいい仲になって、付き合うような、そうでもないような、ふらふらした関係がしばらく続いた。僕としては、成り行きに任せよう、という感じだった。たとえば「子供ができた」とか、カチッとした事実を突きつけられたら、結婚かな、というような。しかし、幸か不幸か、そういうことには全然ならなかった。
不妊の定義を知っていますか?それは「特に避妊をしていないのに一定期間妊娠しないこと」を言う。僕らは、この1年2年の間、特に避妊していない。しかし妊娠しない。定義上、立派な不妊カップルということになる。
僕は、自分のほうには問題がないことを知っていた。かつて別の女性と結婚しその人が妊娠したことがあったから。しかしやむなく堕胎することになった。つらい記憶。一生背負って行くべき僕の十字架である。
彼女は僕より年上で43歳。妊孕性という意味では難しい年齢かもしれない。僕としては、彼女と一緒に暮らし始めて以後、「別に子供はいい」と思い始めていた。僕の仕事を支えてくれる。食事を作ったり、ロンの世話をしてくれたり。ロンが本当に僕らの子供みたいで、それで何ら不足がないような気持になっていた。もちろん、子供ができたらできたでうれしいことだけど、熱烈に子供を待ちもうけるような気持ちは全然なかった。
あるとき、患者から不思議な人を紹介された。「四国某県に住む男の人ですが、この人にはいろいろな病気を治す能力があります。私もこの人のおかげで、子宮の不調が一瞬にして治りました。月に1回神戸に来られます。先生も一度来てみませんか?」
当然うさんくさい。詐欺師から金を巻き上げられるのはまっぴら御免である。
「いえ、お金は一切とりません。ただ、何か形のある贈り物だけ持って来てください。菓子折りでもお酒でも何でもいいので」
金稼ぎではない、という時点で信憑性がいくらか増して、興味がわいた。面白半分に行ってみることにした。
70代ぐらいの老人が、神妙に頭を垂れる彼女に聞く。「どういう不調があるのか」「子供が欲しいです」「そうか、分かった」
そうして天を仰いで、彼女の頭やおなかに手を当てる。しばらく目をつぶり、沈黙した。やがて口を開いて、
「通り道を開いた。大丈夫。もうすぐ来るからね」
「本当ですか」
「うん、来たがってる。男の子。あ、男の子って言うてもた」
とぼけた感じで、僕はつい吹き出してしまった。
本物とも偽物とも分からない。ただ、この儀式のような空気感で暗示をかけて、それでもって病気を治す、というのがこの人のスタイルかもしれない。別に暗示なら暗示でかまわない。病気は「治したもん勝ち」である。
このときはそれだけで終わった。
驚いたのは1か月後だった。仕事から帰宅した僕に、彼女が妊娠検査キットを示した。「これ、陽性なんだけど」
ぬか喜びはしない。偽陽性もあり得るし、仮に本当に陽性だとして、高齢である。いつ流れてもおかしくない。しかし2か月後、産婦人科の診察を受け、妊娠が確定的となった。
このまま順調に行けば、出産は来年春頃になる。僕にはすでにロンという子供がいるが、もう一人、人間の子供の父親になるわけだ。
僕としては、この現象をどのように解釈し、どのようにリアクションすべきか、決めかねている。
時系列は以下のようである。
3年近く子供ができなかった。そこで老人のお告げ(「道を開いた。もうすぐ来る」)を聞き、1か月後には妊娠が判明した。
老人が見事に奇跡を顕現させたのか。あるいはたまたまタイミングが一致しただけか。
僕には分からない。
ただ、もし順調に赤ちゃんが生まれてくれば、ロンに弟(妹?)ができた形で、僕らは三人で遊ぶことができる。そういう日が来ることが、楽しみで仕方ない。