ヴォルテール箴言集とコロナ

『君の意見には反対だ。しかし君がそれを言う権利は死んでも守る』

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言論の自由ってこういうことだと思う。自分と異なる意見が尊重されること。それが民主主義の基本だろう。
しかし現状はどうですか?

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一国の大統領のSNSでさえバンされる時代である。個人レベルでの言論封殺は、今や当たり前に行われている。
たとえばツイッターでワクチン関連の情報発信をしようとすると、こんなふうに制限がかかる。

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フェイスブックでも事情は同様。グーグルでも検索順位の恣意的な操作が行われている。

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ヴォルテールが死んでも守ろうとした「発言の権利」を、死んでも奪おうとする人たちがいる。
一体誰だろう?
僕らから言葉を奪おうとしているのは、一体誰なんだろう?

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『誰が君を支配しているか知りたい?
それならね、"誰を批判したらいけないか"、に注目してごらん』

SNSを含めネット上において、ワクチンへの批判はご法度である。これまでにも検索順位の恣意的操作は行われていたが、情報統制は以前に増して強まっている。コロナワクチンをいかに多くの人に打ちまくるか、製薬産業にとって、今が正念場である。今、副作用だ何だの報告が多発しては、計画がとん挫してしまう。

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『ダボス会議にてドイツの保健大臣いわく、"我々の目標は世界中の全員にワクチンを打つことです。我々の共通の敵はウイルスであって、製薬産業ではありません"
ワクチンを拒否する者は居場所がない。コロナ作戦の最終ゴールは世界統一政府である』

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『金があれば何でもできると考えてはいけない。でないと、金のために何でもするようになってしまう』

これはコロナのよかったことだろうけど、僕はコロナをきっかけに、何だかお金がすごく虚しいものに思うようになった。同時に、人とのつながりの尊さを改めて感じるようになった。

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お金は価値の交換手段として便利なものだけど、それだけの意味しかない。生活に必要以上の金は、単なる数字だよ。100億円持ってる資産家は、10億円の資産家より10倍幸せか?
そんなはずがない。幸せどころか、金が増えるにつれて、ますます心が渇くんじゃないかな。

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きのう、沖縄から帰ってきた知人が土産として豆腐よう(って知ってますか?沖縄独自の発酵豆腐のことです)をくれた。以前その人にちょっとしたものをあげたことがあって、そのお返しの意味もあってくれたんだけど、こういうやり取りが、僕には何だかすごくうれしかった。
金のやり取りではなくて、もののやり取り。金に感情は宿らないけど、ものには宿る。物々交換の経済は不便かもしれないけど、人々の幸福感ははるかに高いんじゃないかな。

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『当局が誤答した問題であなたが正答を与えた場合、あなたの身に危険が及ぶことになる』

マスクを着けろ、密を避けろ、ワクチンを打て。
科学の裏付けのない行動が要請されている。現状日本では「要請」で済んでいるが、そのうち「強制」になるかもしれない。
僕はマスクを着けないし、わざわざ密を避けないし(あえて人混みに行くこともないけど)、ワクチンも打たない。というか、「要請の真逆こそが正しいんだ」と日々情報発信している。
当局から目障りに思われて、身に危険が及ぶことがあるだろうか?
とりあえず「僕は自殺だけは絶対にしない」とここに宣言しておきます(笑)

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『茶番を信じさせることができれば、どんな非道なことだってやらせることができる』

そう、そもそも「信じる」って危ういよね。宗教のせいでどれだけ多くの戦争が起こり、多くの人が死んだことか。
「信じる」って楽なんだよ。自分の頭で考えたり疑ったりしなくてもいいから。
テレビの報道を真に受けてコロナ脳になることって、案外不幸ではなくて、それどころか、宗教に似た快楽があると思う。「今年のインフルエンザはどこに行ったのか」とかさ、ちょっとでも考えてみればいいのに、考えようとしない。マスコミが嘘を言うはずがないって信じている。こういう人たちがマスク警察になって、僕みたいな不逞分子に難癖つけてくる。

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『疑いを持って生きることは苦しいことである。かといって確信を持って生きることは、何だかバカっぽい』

大事なのは柔軟性だよね。新たな情報に触れるたびに、自分の考え方を更新していくこと。
だから、たとえば、僕を「反ワクチン派の医師」と固定するのはやめて欲しい。なるほど、僕は現状「打つ意味のあるワクチンは一本たりとも存在しない」と、ひとまず「確信」している。しかし今後もそうかというと、それは分からない。疑いと確信、その両方の間を行き来するのって、けっこうストレスでしんどいことだ。しかし、この行き来にこそ、"人生の味"があるとも思う。

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『自分で考えること。これは特権なんだよ。この特権を、他の人にも味わわせてあげるといい』

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『自分を変えることがどれほど難しいか、ちょっと考えてみるといい。そうすれば、他人を変えようとする努力のバカバカしさが、わかるだろう』

僕は、「人を変えよう」とは極力思わないようにしている。もちろん、仕事柄、患者に行動変容を促さないといけない場合がある。たとえば、甘いものや小麦を控えるよう指導しないといけない。そういうときも、あまり指示的にならないように心がけている。「医者に言われたからやめないといけない」ではなく、「医者の話を聞いて、自分でやめたいと思ったから、やめる」に導きたい。何であれ、僕ら人間は「無理やり」ということに反発する性向を持っているものだ。
だから僕は、いわゆる「コロナ脳」の人と議論なんて絶対しない。人類の歴史上、議論で人が変わったことなんてただの一度もない。
ただ、彼らが考える材料は提示したいと思っている。僕の情報発信が、彼らの目に留まれば、と思っている。しかし、、、

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『バカは理性の代わりに偏見を使う』

たいていの場合、もう頭が固まってしまってるのよ。
寝た人を起こすことはできても、寝たふりしている人を起こすことはさすがに無理だ。
こういう人はもうしょうがないよね。