うつ病と好中球/リンパ球比

「先生、私の説なんですが、うつ病の人はリンパ球過多ではありませんか?
安保徹先生の『白血球の自律神経支配』の理論によると、交感神経優位の人では好中球過多、副交感神経優位の人ではリンパ球過多です。
うつ病の人は元気が出せません。交感神経を高めることができなくて、そのせいで光や音の刺激に弱かったりストレスに弱いんだと思います。
どうですか?私の予想、当たっていますか?いろんなうつ病患者の採血データを見てきた先生は、どんな印象を持っていますか」

鋭い質問だ。
僕の答えは、、、「わかりません(笑)」
あまり鋭い質問をされても困るのよ。優秀すぎる生徒を持った教師は、こんなふうに当惑させられるものだね。

あのね、ちょっと自己弁護をしておくと、医者は医学部教育を通じて、人間の体のこと、病気のことを、一通り全般的に勉強する。まず、ジェネラリスト(広く浅く)であることが求められるわけだ。そして次に、何らかの専門をひとつ選んで、その道のスペシャリスト(狭く深く)を目指す。
たとえば「循環器内科」を選んだとする。でも今の時代、その専門分野がさらに細分化されている。たとえば虚血性心疾患、不整脈、心不全などに分かれていて、こういうのをサブスペシャリティと言います。「循環器内科が専門です。サブスペシャリティは不整脈です」という具合だ。この先生に「心不全の治療指針について最近ガイドラインに変更があったのですがご存知ですか」などと聞くと、案外把握していなかったりする。すべての情報をフォローするには、あまりにも情報量が膨大すぎるんだ。

だから、みなさん。ひとつの分野に限定して、その分野で医者の知識を上回ることは、それほど難しいことではないですよ。医者にとって病気は他人事だけど、患者にとっては我が事だから、必死になって情報収集する。一般的な情報(医者が医学部で教わるような知識)はもちろん、医者が医学部では教わらない民間療法的な情報まで、患者は当然調べている。
インターネットが情報のあり方をすっかり変えてしまったんだな。この20年で白衣の威光は地に落ちた。いまだに医者にペコペコするのは、スマホを持ってない高齢者とか情報にうとい人ぐらいだろう。
医者のなかにさえこのことを自覚してない人がいる。「血圧が高いですね。降圧薬を処方しておきますね」というと、患者が「先生、私、本当に薬が必要ですか?血圧の薬はずいぶん副作用も多いってネットで読んだんですけど」こういう患者に対して、頭ごなしに叱りつけたりする。「病院に来たということは治りたいからでしょ?薬なしでどう治せって言うんですか!副作用副作用って!」

僕も一応同業者だから、不愉快になる医者の気持ちもわかる。でも、もう患者と張り合っても仕方ないと思うよ。パンドラの箱、知識の扉が万人に開かれてしまったんだから、医者のほうで適応していかないといけない。
まず、患者の目線に立つことだよね。
自分が高血圧ならどうするか。薬もひとつだろうが、その他に何か手はないか。ハーブとかビタミンとか、「民間療法だから」と一蹴せずに、自分でいろいろ調べてみればいい。
白衣を着てふんぞり返っていられる時代はもう終わった。過去の栄光に固執していたら、患者にどんどん追い抜かれていくと思うよ。

さて、上記患者の質問である。難しいことを聞かれたって、わからない。しかし「わからないまま終わる。そんなのは嫌だ」とアンパンマンも言っている。そこでちょっと調べてみたところ、こんな論文を見つけた。
『未投薬治療の大うつ病患者における好中球/リンパ球比(NLR))』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4556257/
「うつ病と免疫系の関係性を解明しようとする研究が近年活発である。うつ病の発症機転に、炎症性サイトカイン(IL1、IL6、TNFαなど)の産生増加が関与していることが報告されている。また、ストレスおよびうつ病により白血球数や好中球数が増加し、リンパ球数が減少するとの報告もある。そこで筆者らはうつ病における好中球/リンパ球比(NLR)を調べることにした。抗うつ薬等の投薬治療を受けていないうつ病患者41人、また対照群として精神疾患のない健常者47人の採血を行い、分析したところ、NLRはうつ病患者で優位に高かった。うつ病の病因に炎症が関与していることを示すものである」

患者の推測「うつ病患者ではリンパ球が高いのではないか」という予想は、残念ながら、はずれていた。事実は真逆で、"うつ病では好中球が高くリンパ球が低い傾向"にあるようだ。
この事実は、うつ病の診断に使えるものではないだろうけど、うつ病が改善傾向にあるかどうかの目安には有効だろう。「気持ちも前向きになってきたし、NLRも低下傾向だから、うつ病は治ってきていますよ」みたいに。

患者にいつも"宿題"をもらっているようだ。優秀な生徒の鋭い質問にはどぎまぎするものだけど、こういう刺激が教師を成長させるっていう側面もあると思うのね。