けんたのこと

60代女性。高血圧、高脂血症の既往があり、それぞれに対し薬が処方されている。
「別に今、特に不調があるわけではありません。ただ、薬を使わない方法で健康を維持できる方法があれば、と思って、伺いました」
なるほど、そういうことなら、と、なぜ血圧が高くなるのかの仕組み(交感神経優位、マグネシウム不足による血管平滑筋の収縮傾向など)や、コレステロール降下薬(スタチン)のリスクについて説明し、どういう栄養素をとればいいのか伝えた。
しかし僕の話を聞く様子に、なんというか、真剣さがない。病気の人というのは、自分の病気を何とかしたい必死さがあるものである。ぐいぐい食い気味に相槌を打ったり、メモをとったり。しかしこの人は、僕の話をにこにこ微笑みながら聞いているばかり。助言の具体的内容には、あまり興味がないように感じられた。
「それでは、今言ったような話を参考にして、様子を見つつ薬を減らすなりやめるなりしてみてください。では、今日はこれでいいですかな?」
診察を切り上げようとしてまとめにかかると、ふと、
「先生、私、明石に住んでるんです」
問診表に記載の住所を見ればわかる。神戸のすぐ近くだから、明石からうちに来られる患者は少なくない。
「ああ、そうですか。僕も明石出身ですよ」と答えると、
「私、先生の子供のときを知っています。私の息子と先生、同じ学年でしたから」
「えー!そうなんですね!」
驚いたふうに声をあげたが、別にそれほど驚いたわけではない。実家がわりと近いのだから、いつかこういう患者(昔の同級生やその家族)が来ることもあるだろうと思っていた。
ただこの人は、「ふらっとクリニックに立ち寄ったら偶然にもそこの医者が息子とかつての同級生だった」というわけではなく、あえて僕に会いに来たようだ。
「息子さん、お名前は?」
女性はある名前を口にしたが、どこにでもあるごく普通の名前である。覚えがあるようなないような。僕が思い出せずにいるのを察して、お母さん、助け舟を出した。
「ほら、あの、ひまわり組の」
ひまわり組というのは、知的/精神的障害のある子供のためのクラス。これを聞いてすぐ、ピンときた。「ああ、あの子ですか!」
けんた(仮名)とは通学路が途中まで同じだから、学校からの帰り道、何度か一緒になったことがある。知的障害があったけど、別に話せないわけではないから、何か会話したと思う。しかしそれだけ。何をしゃべったかも覚えてないし、他に何の思い出もない。「ああ、あの子ですか!」と言ったものの、次の言葉が出てこない。一体何を話せばいいだろう。
「先生、うちに一度来たことを覚えていますか?4年生のときに。私、この子が友達を家に連れて来たことなんか初めてだったから、ものすごくうれしくて」
思い出した。そんなことがあった。
いたずら小僧数人と連れ立って、けんたをいじめて泣かしたことがあった。僕は主犯ではなく、傍で見て笑ってるだけだったけど、けんたが気の毒で、帰り道を一緒に歩きつつ、あれこれ慰めた。家の庭先にたまたまお母さんが出ていて、「あれ?友達?」となって、「よかったら家にどうぞ」それでお宅にお邪魔したのだった。
特に何をして遊んだ、というわけではない。お母さんがりんごをむいて出してくれて、それをごちそうになって、すぐに帰ったと思う。
「先生、何度かあの子と一緒に帰ってくれたんですね。あの子が家に友達を連れてきたのは、後にも先にも、先生だけです。
子供が友達を家に連れてくる。それが母親にとってどれほどうれしいことか、先生、わかりますか。それで私、先生の名前を覚えたんです。
先生、中学受験されて地元の学校には行かれなかったので、その後のことはわからなかったのですが、最近たまたまネットを検索していて、先生のブログの記事を見ました。その名前を見て、けんたのこと、昔のこと、思い出して、何だか居ても立ってもいられなくなって、こちらに来させてもらいました」
「え、ということは、けんた君は、今、」
「20代の頃は作業所に通ってて調子のいい時期もあったんですけど、5年前に脳炎で亡くなりました」

僕は何だか、たまらない気持ちになった。
お母さん、申し訳ないけど、僕はけんたと友達として接してたわけじゃない。たまたまけんたの家に行くことになったのも、いじめられたけんたが学校の先生にチクって僕の名前を挙げられてしまうのではないか、という不安があって、それであれやこれやと慰めただけのこと。結局、保身に過ぎなかった。
確かに、けんたと何度か一緒に下校したことはある。でもしゃべっていて別におもしろい子ではなかったし、他に帰る子がいれば、けんたと一緒になんて歩かない。
僕は、けんたのことを、名前を聞いてさえ思い出せなかった。ヒントを出されて、ようやく思い出した。何というか、僕の人生のなかで、彼は"その程度の人物"だった。
それなのに、お母さんの思い出のなかで、僕はけんたの"すごくいい友人"になっていた。そこが何だか、心苦しくて、たまらなかった。謝りたいような、泣いて詫びたいような気持ちになった。
母親が我が子を思う気持ち、というのが、小学生の僕には全然わかっていなかった。でも今なら、少しはわかる。
今は亡きけんた。その友人が、地元で開業医として頑張っている。お母さんはその様子を見るために、今日来院された。
だから、「僕とけんた君、実は友達でも何でもなかったんですよ」などと伝えては、お母さんの誇りを傷つけることになる。
いまさら無意味な事実よりも、配慮のある嘘のほうが、よほど人の心を救う。そういう状況が確かにある。そこで僕は、名前を聞いても誰か思い出せなかったくせに、いけしゃあしゃあとこう言った。
「けんた君は本当にやさしい性格で、僕は彼のそういうところがすごく好きでした」