他人が自分をどう思っているか

20代女性
「人ごみが不安です。みんなが私のことをどう見ているかと思うと、いてもたってもいられないような気持ちになります」
こういう訴えに対して、どうするか。
医学的な問題というよりは心理的な問題だと考え、カウンセラーとの面談を勧めるべきだろうか。
「いえ、カウンセリング的なことでいえば、すでに以前会社のストレスカウンセラーに相談したことがあります。じっくり話を聞いてくれたのですが、やはり不安は変わらないままです」
人間は体と心だから、傾聴によって心にアプローチすることも大事だけど、体の問題から心に来ていることも当然ある。たとえば栄養状態が悪いとか。食事の状態について聞いてみる。
「朝はパンと牛乳です。昼はコンビニのお弁当か、忙しければ食べません。夜はたまにパスタとか自分で作りますが、外食が多いです」
ああ、これだな、と見当がつく。
食事指導(小麦、乳製品、甘いものをやめる)して、各種ビタミンやミネラル(鉄剤など)をお出しして、2週間後。
「だいぶよくなりました。なぜあんなに不安感があったのか、今では不思議です」

これは若年女性に多い典型的な経過である。不摂生な食生活により腸に炎症があり、栄養の吸収が落ちていた。そこに若年女性に頻発する鉄不足が加わって、精神症状を来たした。心の問題を主訴に来院されたが、口にするものへの介入という、体へのアプローチで問題が解決してしまった。カウンセリングは別段不要だったし、抗不安薬や抗うつ薬も不要だった。

こういう患者はすでに数多く見てきたから、特に新味はない。なぜ不安感を生じるかの機序もわかっているし、栄養改善によってなぜ症状が軽快するのかの機序もわかっている。
ただ、興味深いのは、何を不安に思うか、の内容である。これは若年者、中年、高齢者で、それぞれ相当違う。
若年者は「他人が自分のことをどう思っているのか」、という不安にとらわれることが圧倒的に多い。一方、不安症に陥った高齢者がこういう訴え「わしはみんなからどう見られているんだろう」などと悩むことは、通常あり得ない。

以前、不安/うつを7種類に分類したダニエル エイメン博士のことに軽く言及した。彼の言葉にこういうのがある。

画像1

「18-40-60の法則
18歳では、他人が自分をどう思っているかを気にする。
40歳では、他人が自分をどう思っていても気にしない。
60歳では、誰も自分のことなんて気にしちゃいないのだと気付く。
結局、人は自分のことしか考えていないんだ。あなたのことなんて考えちゃいないよ」
味わいのある言葉だと思う。本当にその通り。みんな自分の生活に忙しいんだ。誰も他人のことにかまっている暇はない。だから、「誰も自分が思うほど自分のことを気にしていない」。
18歳の人も、一応頭ではわかっている。それでも、アイデンティティを模索するのが若者である。自意識過剰の嵐のなかで、他人の目を意識せずにはいられない。そうした基本メンタリティを持つ若年者の精神状態が乱れると、他人の目への意識が、病的な不安の対象になる、ということらしい。

僕は40歳。
エイメン博士の言葉では「他人が自分をどう思っても気にしない」のが40歳だということだけど、どうだろう。
まだまだはげたくないし、顔にしわが増えてきたら「うわ!」って思う僕は、全然年齢相応の悟りを開けていないようだ^^;

ちなみに高齢者で多い不安は、「頼れる人(伴侶、友人など)に先立たれ、一人になるかもしれない不安」だという。
つまり、若いときにあれほど恐れていた他人の目線が、高齢になれば、むしろ恋しい、「もっと私を見てくれ!」という心境になるということだ。
エイメン博士風にまとめるなら、
「80歳では、誰でもいいから自分のことを気にかけて欲しいと思う」(At 80, you want others to care about you.)といった感じになるだろうか。
若いときには大人になろうと背伸びをし、大人になれば若者の若さにあこがれるように、ないものねだりが人生の本質なのかもしれない。