動画アカウントを一発バンされました

以前の記事『ワクチンと電磁波』、『グラフェンと5G』に僕が字幕をつけた動画をアップしていたのですが、今日それが削除されていました。というか、アカウント自体が消滅していました。

警告なしにいきなりアカウント消滅ってエグすぎひん?

検閲の代名詞YouTubeでさえスリーアウト制だよ。警告が来て、それでも再びガイドライン違反をして、というのを3回繰り返してようやくアカウントがバンされる。ポルノを投稿したりスパム行為とか、よほど悪質なら一発でアカbanもあり得るだろうけど、僕があげてたワクチンと電磁波関連の動画、そんなに危険思想ですか?ああそうか、そうかもしれないですね。今後国民支配を勧めるうえでキーになる技術ですから、多くの人に知られちゃ不都合でしょうね。でもアカウントを一発banしたことで、逆に、真実だって認めたも同然ではないですか(笑)
しかし、もともとYouTubeでアカウントを作らなかったのはどうせ検閲されるだろうって予想がついていたからだけど、まさかRumbleよ、お前もかー。

最近はイーロン・マスクがツイッターを買収し、ワクチン被害の実態も徐々に報道されるようになってきた。この流れでFBやYouTubeの情報統制もゆるやかになっていくのかなと思っていたら、まだまだ全然ダメだね。
ニコ動は検閲がないかと思ったら、京大の福島教授が厚労省の役人を怒鳴りつける動画もニコ動で削除されたという。
検閲はいまだに健在ですね。

字幕大王に相談すると、オデュッセイにアップするといいとの助言をもらった。そのうちここにアップするかもしれませんが、、、

しかし、ちょっと本音を言うと、、、
僕は今回の一件、本気で怖いんです。
これまでも検閲されてきましたよ。ツイッターをしていたときは、アカバンまではいかなかったけどシャドーバンされていたし、このnoteも冒頭にデカデカと警告文が出ているし。それでも、言論の自由は一定程度認められていた。言いたいことを言う権利はあったわけです。でも今回僕は、動画アカウントという表現の場自体をごっそり奪われました。Rumbleは検閲が比較的少ないと言われているサイトですよ。そこで警告なしの一発アウトって、こんなことされた人、他にいますか?
一体誰がやったのか?巨大な力が動いたのではないか?
そういうことを想像すると、怖いです。この前、社会学者宮台真司さんが顔を切りつけられる事件があったけど、別に命を取る必要までない。刃物で顔を切る。それだけで、威嚇としては十分です。「真相に切り込みすぎたらこういうことになる」宮台さんには当局のメッセージが十分伝わったと思います。表現者として、萎縮せざるを得ない。宮台さんはタブーに触れることについて、今まで以上に慎重になると思います。
今回僕は、身体的な傷を負ったわけではありません。でも、何だかそれ以上に恐ろしいものを感じました。「次また同じようなことをすればどうなるか?分かってるな?」今度はアカバンだけで済まないかもしれない。刃物が飛んでくるかもしれない。
情けないことを臆面もなく言いますが、僕は最近、命が惜しいんです。コロナが始まって以後、去年あたりまで、僕の情報発信はバズりまくっていました。自分で言うのも何だけど、僕の情報発信に触れたことでワクチンの危険性を知り、接種を思いとどまった人は相当数いると思います。起こっていたかもしれない死亡や後遺症を未然に防いだことは、医者として一生分の仕事に相当するかもしれません。こういう情報発信の結果、僕を応援してくれる人が増えましたが、その分、アンチも増えました。ワクチンを推進するマスコミとか団体から目の敵にされて公然と批判されることもありました。
それでも、そんなに怖いと感じなかった。「殺されたらそのときはそのときだ!」とか大見得を切っていました。仮に、万々が一、自分にもしものことがあったとしても、妻に申し訳ない、ぐらいの気持ちでした。
そういう心境が変化したのは、こうちゃんの存在です。朝起きると、横にこうちゃんがいる。僕を見ると、笑う。泣いていても、抱っこすると泣き止む。赤ちゃんというのが、信じられないほどかわいい生き物なのだということを、僕は初めて知りました。
そして、この子のために生きたい、という感情が芽生えました。一人座りができるようになって、ハイハイができて、つかまり立ちをするようになって、赤ちゃん言葉をしゃべるようになって、、、できることがどんどん増えていく。今日できなかったことが明日できるようになっている。成長を見守ることがこんなに楽しいだなんて、僕は知らなかった。
「子供世代にワクチンを打たせちゃいけない」とか「幼稚園や小学校での無意味な感染対策を即時中止するべき」とか心底思うようになったのは、本当のところ、こうちゃんのためです。かわいい我が子を狂った幼稚園に行かせるわけにはいかない。こうちゃんを健全な社会で成長させたい。そう、博愛ではなくて、偏愛なんです。まず「こうちゃんのために」があって、そのために「コロナ社会を変えないと」という順番です。
身勝手?そうかもしれない。でも、偏愛が社会を変える原動力になったって、別にかまわないでしょう?
というか、そもそも博愛なんて存在するのかな?万人を愛するというのは、結局誰をも愛してないんじゃないかな。
僕はこうちゃんを愛することを通じて、愛の何たるかを知りました。そして、自分の命が惜しくなりました。この子の成長をいつまでも見守りたい。その執着のために、死ぬことが怖くなりました。

恐怖を知った今、逆にこれまでの自分がいかにも薄っぺらいように思いました。「殺されたらそのときはそのときだ」なんて、鉄砲玉みたいだ。軽いよね。こういう意識でいる人の存在とか、その人の言葉自体が。
妻が「コロナ関係の情報発信はもう十分やってきたでしょう?いい加減手を引いたら?それより、健康関係の記事を書いたら?」
そう、確かにコロナ関係については、もう十分かもしれない。
でも、以前よりも命が「重くなった」自分にこそできる情報発信があるような気もしている。
今後どのような情報発信をしていくか、僕にとっての課題です。



最後に告知です。
12月9日仙川のキックバックカフェで『真実を教えて下さい』の上映会と、記者会見があります。金曜日なので僕は仕事があるのですが、午前中で切り上げて東京に向かいます。
お近くにお住まいの方はぜひお越しください。
詳細は
https://20221209kbc.peatix.com/