全裸監督

『サンクチュアリ~聖域』が見たくてネットフリックスに加入して、確かに期待通りのおもしろさで、全8話を一気に見てしまった。
さて、見終わったものの、ネットフリックスは月額固定料金。いっぱい見とかにゃ損損とばかりに、見たい映画やドラマをあさり始めて、長らく見たかったけれども映画館に見に行けなかった映画『トップガン~マーヴェリック』を見た。その次、『闇金ウシジマくん』を見て、今さっき、『全裸監督』を見終わった。
ヤバいなと思うのは、おもしろすぎることである。ネットフリックスには名作映画やドラマが無尽蔵にある。ハマってしまっては、ブログを書く時間が捻出できない。診察が終わった後には、毎日ブログの執筆に向かうというのが当院開業以来の僕の日常だった。映画にハマるのもこのへんにして、そろそろ日常に復帰しなくては、、、

しかし『闇金ウシジマくん』も『全裸監督』もだけど、僕は人間の業を描いた映画が好きなんだな。人の弱さ、醜さ、ふがいなさ。かっこよくなんて生きられない。業を背負って、泥臭く、ひたむきに生きる。僕はそういう姿に共感するんだと思う。
『全裸監督』は「アダルトビデオの帝王」村西とおるに材を取った映画である。監督したアダルトビデオが大当たりして億単位の金が転がり込んだかと思えば、借金50億の負債を抱えたり、テレビ出演する人気者になったかと思えば、逮捕されたり。。。ジェットコースターのような人生だ。浮いたり沈んだりの落差がぶっ飛んでいる。
かつて若い頃は英会話教材の営業マンだった村西氏。二人の子供に恵まれ、ごく普通のサラリーマンをしていたが、彼の最初の挫折は妻の浮気だった。見知らぬ男を自宅寝室に招き入れ激しい行為をする最中の妻を発見してしまう。妻に対して激怒するが、妻はひるまず、言い返した。「あんたでイッたことがない!」
後にAV帝国を築く村西氏が、妻を性的に満足させることができなかったことで離婚に至ったとは、何か示唆的なものを感じる。その後、AV監督でありながら同時に男優として、女性に性的な喜びを与えるようになる。この人は常に逆境からスタートして、そしてひっくり返すんですね。

このドラマは、村西氏の波乱万丈の人生を描くと同時に、人間の業そのものを描いていると思う。虚と実が入り混じるセックス。そこの流れ込む莫大な金。成功と挫折。欲望、打算、裏切り、純愛、、
このドラマを見終わって、ふと思うんですね。一体セックスって何だろう、と。
「好きな人とだけする秘め事」として特別な意味を与えることもできれば、スポーツと同じ「単なる肉体的ぶつかり合い」と割り切ることもできる。思春期の若者にとって熱烈な憧れの対象である一方、既婚者にとっては単なる夫婦のコミュニケーションかもしれない。

ある患者がこんなことを言っていた。
40代女性
「仲のいい女友達(A子とB子)が二人いるんだけど、A子がこないだ離婚しました。パートナーが数年前から浮気していることが判明して(スマホを盗み見て)。A子が言ってた。「彼が今まで言ってきたこと、全部嘘だったと思うと許せなかった」って。でも、私、その解釈がよく分からなかった。A子は今、彼氏募集中だけど、新しい彼に求める第一条件が「浮気をしない人」だって。これも私には理解できない。先生、どう思います?「浮気しない」というのは、ある種の宗教で「豚肉を食べない」のと同じようなもので、「意思」に過ぎないと思う。あるいは、浮気しないという「状態」に過ぎないなって。そういうのって、その人が本来持つ長所とは違うと思う。「豚肉食べません」っていう「意思」を貫く人のことを、先生、魅力的だと思いますか?私からすれば、「ああそうですか。どうぞご自由に」くらいなもので、別にカッコいいとも思わない。
一方、もう一人の友達B子は、今大金持ちと不倫してて、お互い夢中で毎日幸せそう。
数年前は違ったんだよね。A子は仕事もバリバリできて優しい彼氏もいて、B子は暴力振るう不倫相手がいてお金たくさん貸しっぱなしになってて、幸せ度は真逆だった。しみじみ、諸行無常だなって思います」

これはセックスというものをどう見るか、と関係する話だね。
「浮気をしない」という決意。人間にとって自然な生理現象を不自然に抑え込むことがそんなにえらいことなのか。戒律を守る行いすました僧侶を見て「よく頑張ってるなぁ」と思う、その程度のえらさは感じるけれども、結局、今現在我慢中っていう「状態」に過ぎないよね。
不倫という行為にあけすけで、自然体で生きてるB子のほうが幸せになれそうな気がする。A子にもそのうち彼氏ができて幸せになるだろう。「俺、絶対浮気しないよ」っていう彼氏が。でもそれもしばらくのうちで、そのうち浮気の虫がわいてくるのが男やからねぇ(笑)男の生理を理解してるB子のほうが安定的に幸せじゃないかな。

80代男性が娘に付き添われて来院し、こういうことを言う。
「数年前から肝臓癌で、ラジオ波焼灼で対処していたけれども、いよいよ抑えがきかなくなってて、そろそろ抗癌剤が必要だと言われている。でも抗癌剤が体に悪いことは自分にも分かっている。だから、そうじゃないやり方で対処したい。
ワクチンは4回打った。特に変化はないけど、娘が止めるから、5回目は打ってない」
ふと、娘さんのケータイが鳴った。「ちょっと失礼します」と娘さんが診察室を出て行った。
そこで、患者が僕のほうを見て、抑えた声で、
「娘がいないから言うけど、先生、こっちに効く薬ないか?」
腕を力こぶ作るように曲げて、ニヤッと笑う。意味は十分伝わった。僕は吹き出してしまった。
「すごいですね。そういうの、まだお盛んですか」
「1か月前まではできてた。でも今はできない。立つけど精液が出ない」

癌という病魔が、この人の体をしっかりと捕縛している。しかしそんな状態にあってもなお、性生活を行おうとする。
そのたくましさに笑ったけれども、同時に、内心でちょっと震えた。
人間の性が持つ不可解なまでの奥深さ。
男は一体いつまでエロいのか?多分、死ぬまで、ですね(笑)

一方、女性の性欲はどうか。こんな話がある。
江戸時代、大岡越前の守が不貞の罪である男女を取り調べた。男は30歳も年上の女の誘いに乗ってしまったというが、越前の守はこの弁明に納得がいかない。若い女あるいは妙齢の女ならば、男と交わりたい欲求もあるだろう。しかしこの老齢の女が男を誘ったとは、どうも納得できない。一体そんなことがあるのだろうか。越前の守、この点を妻に問うてみることも考えた。しかし、たとえ我が妻とはいえ、女の性欲の何たるかを聞くことは、侍の矜持からはばかられた。困った越前の守、自分の母に思い切って問うた。「女のまぐわいを求むるは何歳までなりや」と。母はこの問いにやや面食らったが、息子が相当の覚悟を持って問うたことも分かっていた。そこで母は、あえて言葉にせず、ただ、そばにあった火鉢のなかの灰をならして、思うところを伝えた。すなわち「女の性欲は灰になるまでと心得よ」と。

瀬戸内寂聴がどこかの本にこんな意味のことを書いてた。
「女はいくつになっても、心が変わりません。おばあちゃんになっても、気持ちは若いときのまま。カッコいい人を見れば胸がときめくし、嫉妬したりやきもち焼いたり、うれしかったり悲しかったり。年をとるにつれて感情も老ければいいのに、そうはならない。容姿だけが衰えて、でも心は変わらない。そこが女であることのつらいところであり、また、すばらしいところなんです」

ずっと変わらない。心も、性欲も。
でも我々は、老いた体に宿る若い精神、若い欲求を、自ら封印するんだよね。「年甲斐もなく、みっともない」って。
そういうふうに変に抑圧せずに自然体でいられることが成熟した老い方だと思うけど、自分にはそういう老い方がちゃんとできるかな。