スタチンとノセボ効果

人間は暗示の力にかかりやすいもので、暗示で人を病気にすることもできれば健康にすることもできる。
たとえば、朝起きて、嫁から「あなた、顔色が悪いじゃないの。体調大丈夫?」と言われたとする。「何言ってる。いつも通りだよ」と返すが、さらに会社に行って同僚から「しんどそうだけど、大丈夫か?休んでいてもいいんだぞ」仕事終わりに行きつけの飲み屋に行ってママから「どうしたの?やけに疲れた顔して。体、悪いんじゃないの?」と、立て続けに言われたら、「俺、やばいのかな」と自分の体調が自分で信じられなくなってくる。「今日だけで三人から"病気じゃないのか"と言われた。偶然ではないだろう。俺はやっぱり、どこか体が悪いんだ」となって、「そういえば最近、便秘になったかと思えば下痢になったり、便通が安定しなかった。腹部に異常がありそうだ」と自分で病気を探し始める。「明日は仕事を休んで病院に行こうか」という算段までつけはじめたとき、飲み屋の奥から、嫁、同僚、ママの三人が飛び出してきて「ドッキリでしたー!体調が悪そうってみんなに言われたらどうなるか、実験してみたんだ!」
こう言われても、「なんだ!ドッキリだったのか!してやられたなぁ!」とはならずに、「ちょっと待ってくれ、何週間か前からおなかの調子が不安定で、俺、本当に病気なんだ。病院に行こうとマジで思ってたぐらいだし」と、逆にドッキリを仕掛けた三人があっけにとられる。飲み屋に微妙な空気が漂い、一体どちらが騙しどちらが騙されたのか、よくわからない事態になる始末。
要するに、思い込みの力、である。これははっきり、実在する。
現代科学もこれを認めている。だからこそ、RCT(無作為化比較試験)ではプラセボ(偽薬)群が設定される。「自分が今飲んでいるのは病気を治してくれるありがたい薬なんだ」と思い込めば、単なる小麦粉を固めただけのものであっても治ってしまう。そういう人が一定数存在するため、薬の真の有効性を知るためには、プラセボ群を設定して治療効果の有意差を確認しないといけない。
逆に、効くはずの薬を飲んでいても「自分が飲んでいるのは毒に違いない」と信じている人には、毒として作用することがある。プラセボと真逆の作用であり、これをノセボ効果という。
以前のブログで、アフリカのシャーマンや源氏物語に出てくる生霊の話を紹介したが、思い込みは人を病気にするどころじゃない。"呪い殺す"ことさえ可能である。
「鰯の頭も信心から」は真理である。信じる力によって、鰯の頭は、本当に、神様になる。

ときどき当院に、親に連れられてこんな患者が来る。
「先生、この子を何とかしてやってください。私が何度言っても食事は乱れたままだし、せめてサプリだけでも飲まそうと思っても全然飲んでくれない。『そんな人工物はイヤだ』って言うんです。その割に、カップ麺とかのインスタント食品は平気で食べるんですね。インスタント食品も人工物みたいなもんでしょうに、本人的にはそこはオッケーなんですね。何とか栄養指導してもらえませんか」
こういう患者を前にして、「サプリのすばらしさを理解してもらうべく全力で説得しよう」と思うかというと、思わない。正直、全然気乗りしない。まず、患者に病識がない。「今の状態を変えたい」と思っているのは親御さんだけで、本人は別に困っていない。現状に満足しているのに行動変容を促されては、患者も嫌だろうし(そもそも自分を患者と思っていない)、僕もこういう人を説得するのは嫌だ。患者と僕の思惑は一致している。当然、医師-患者関係は成立しない。
しかし、仮に、僕が頑張ったとする。つまり、この人を無理やり『丸め込んだ』としよう。本心のところでは栄養の重要性なんて全然信じてないのに、親や僕があまりうるさいものだから、しぶしぶながら、サプリをきちんと飲むことを約束したとする。するとどうなると思いますか?
ろくでもない食事を長年続けているから、体内のビタミンやミネラルは欠乏している。そこにビタミンを補えば、欠乏に由来する様々な不調が改善する。本来そのはずである。しかし「サプリは毒」だという信念が効果を鈍らせるし、あるいは悪影響さえ与えかねない。
だからこういう人に、無理にサプリを飲ませたくないんだよね。

さて、話はここからである。
確かに、思い込みの力は非常に強力である。しかしたとえば、薬のせいで本当に副作用が生じているのに、「それは君、思い込みのせいだよ。薬の副作用を怖がっていたでしょ。その恐怖のせいで悪影響が出たんだ。ノセボ効果そのものだよ」と言われたら、どう思いますか?
たとえばこんな論文。
『スタチン投与群、プラセボ群、未治療群における副作用の評価』
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMc2031173
この論文によると、スタチン(高脂血症治療薬)の服用による副作用(筋肉痛、倦怠感など)のうち9割は薬の成分と無関係で、「薬を飲む」という行為そのものが副作用の症状を引き起こしている(ノセボ効果)という。

これにはひっくり返った。僕は臨床現場でスタチンの副作用で苦しむ患者を数多く見ている。僕が見ている患者たちは、スタチンの成分とは無関係に、単なる「思い込み」のせいで筋肉痛や倦怠感に苦しめられているということだろうか?2年間にわたってスタチンを服用し、筋力低下、感覚障害、排尿障害、嚥下障害を発症し、裁判を起こした福田実さんは、長い裁判闘争の末ついに勝訴したが、福田さんの症状が「思い込み」だったとでも?

バカを言っちゃいけない。こんな論文は、実際に薬害で苦しむ患者の神経を逆なでするだけだ。実際、上記の論文の存在を僕に教えてくれたのは、僕の患者である。彼がこんな新聞の切り抜きを僕に送ってくれた。

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山陽新聞2021年1月9日付↑
地元紙にこんな記事が掲載されているのを見て、彼は許せなかった。自分の症状は「思い込み」のせいなのか?
「スタチンの毒性について、中村先生が過去のブログで詳しく説明していることは拝見しております。しかし上記のような記事が地方紙にも平然と掲載される世の中です。マスメディアの発信する圧倒的な情報量の前では、先生の貴重な声もかすんでしまいます。そこで先生、折に触れ、スタチンの危険性について警鐘を鳴らし続けてくださいましたら幸いです」

現代医学の言い草は分かっている。ビタミンが効けば「プラセボ効果」だと言い、薬の副作用が生じれば「ノセボ効果」だと言う。
なるほど、人間は思い込みの力から逃れられないものだが、すべてを都合のいいように「思い込み」で片付けられてはたまらない。