講演会

「先生、講演してみませんか?」
講演かぁ。おもしろそうだね。テーマはどうする?『居角左美濃急戦の優秀性について』で行こか。
「へぼ将棋のくせに何言ってるんですか?将棋がテーマだったら、お客さんはゼロですよ(笑)」
そうか、やっぱり栄養か。それが本職やもんなぁ。
「いや、コロナ関係、ワクチン関係のほうが需要は多いと思います。会場はすぐ抑えられますよ。今からなら三宮で4月辺りにどうでしょう」
うーん、興味はある。でもスライド作ったりなんやかんや準備せなあかんしなぁ。
「オンラインっていう手もありますよ。どうでしょう。返事はすぐに、とは言いません。検討してみてください」

実は講演会のオファーは初めてではない。というか、2年前に何度かやったことがある。それと去年、僕のツイッターの情報発信を見た複数の団体から講演のお声がかかった。申し出は光栄だったが、すべてお断りさせて頂いた。
しかし今考えると、ひとつぐらい受けておいてもよかったかなと思う。少なくとも、コロナ関係、ワクチン関係で講演をするのなら、去年やっとくべきだった。
去年の3月4月頃は、日本全体がコロナ脳、と言ってもいいような状況で、覚醒組は圧倒的に少数派だった。でも今はずいぶん多くの人が「コロナの嘘」に気付いていて、SNS上で警鐘を鳴らす人も珍しくない。コロナ関係の講演会をやるなら、去年だった。今さらやったところで、大して新味がない。

「いえ、それは世間を買いかぶりすぎです。街行く人のマスク着用率の高さを見てください。まだまだコロナ脳の人はたくさんいますよ。コロナワクチンに飛びつく人もたくさんいるでしょう。コロナがなぜ嘘なのか、ごく基本的なところから丁寧に説明してください。そういう講演でも充分ウケます。世間一般の人が先生みたいに海外情報に精通していると思わないでください。マスクの嘘。ワクチンの嘘。本当に、初歩の初歩でいいですから」
うーむ、そうかー、なるほどなぁ。

「なるほどなぁ」は言葉の間をつなぐためだけの空っぽの言葉で、何も納得していないし、講演をやろうとも何とも思っていない。ただ、一応聞いてみた。
どのくらいの広さの会場で、何人ぐらい集める?一人当たり参加費なんぼとる?
「いえ、もちろん未定です。というか、そこは先生次第です。どういうスタイルで講演をやるか、どれほど高く自分を売りたいか。ご自身で決めてください」

いや、当然お金じゃない。講演を「やったことがある」というだけで、素人に毛の生えた程度である。むしろ「経験をつませてもらう」ぐらいの謙虚さは忘れずにいたい。
浜学園(関西で有名な進学塾)で小学生の保護者相手に講演したときは、50人ぐらいだった。50人となれば、「たくさん」という認識になる。多分、500人相手でも5千人相手でも、僕は同じように話すと思う。ただ、逆に、5人相手だったらスタイルを変えるだろうな。5人相手なら、参加者に「顔」があるから。一人一人の顔を見て、何ならときどき話を振ってみたりする。そういう返答の不確定性を楽しむ、みたいなスタイルで、手作りの講演をすると思う。

あんまり大人数相手の講演はやめとくわ。まずは少人数からかな。
「それでいいと思います。肝心のテーマはどうでしょう?コロナ関係でいいですか?」

これは悩みどころである。
noteに文章を書いているが、各記事のアクセス数を解析すると、ビューが多いのはコロナ関係の記事である。栄養関係の記事はいまいち伸びない。「世間が僕に求めるもの」が、この数字にはっきり現れている。
しかし個人的には、whistleblower(危険の告発者)であるよりは、一臨床医でありたい。ウケがいいのは、世間が求めているのは、「コロナワクチンがいかに危険か」という警告であるかもしれない。しかし、僕としては「栄養でこんなふうに病気が改善した」という話をしたい。

「けっこうです。別に返事は急ぎません。ただ、少人数相手に講演をする、ということに関しては確定でいいですか?」
うん、まぁ、ええよ。
「そうですか!よかったら、日にちもはっきり決めてしまいましょう。たとえば4月11日日曜日なんてどうでしょう?」
うん、でも日曜日はロンの相手をしてあげたいけど。。。
「先生、そういう感じだと、一生講演なんてできませんよ」

結局、寄り切りというか押し出しというか、流れで講演をすることになってしまった(笑)
テーマは真っ白。いつ募集をかけるか、も未定。
ただ、4月11日にやる。これだけが決まっている。募集をかけたとして、何人ぐらい来るだろう。10人くらい、せいぜい20人くらいを相手に、と思っている。
土壇場で怖じ気づいて「やっぱり日曜日はロンに捧げるんだ!講演なんてやめだ!」とか言い出したらごめんなさい(笑)