引用と盗用

フェイスブックやツイッターなどで、他人の投稿をコピペして、さも自分の文章であるかのように投稿する人がいる。

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木村正治さん、怒っています。
僕もこの人に何度かパクって頂いたことがあります。たとえば、

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https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=6832907683450469&id=100001939149675

これは僕が2021年1月13日に書いた記事が元ネタですね。
https://note.com/nakamuraclinic/n/na4023b183847

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Masahiro Umeyamaさん、怒っています。
2年前ツイッターをしていた頃、僕もこの人にかなりツイパクして頂きました。多すぎるのでいちいち挙げませんが。ただ、本人さんは分かっていらっしゃると思います。

これは一般論ではなく、あくまで個人的な意見ですが、僕はパクられてこそ本物だと思っています。
パクった人の気持ちが分かるんですね。「おもしろい投稿だ!これが私のものであったなら!」そう思って、失敬しちゃうんだよね。
そういうふうに思わせたということは、その投稿の主張なり着眼なりが、魅力的な証拠でしょう。つまらない投稿なら無視されて終わりですから。だから、パクられるということは、名誉でもあるはずです。
もちろん、世間一般的には、盗用(パクリ)ではなく引用であることが当然のマナーでしょう。つまり、その元ネタの情報提供者の名前をクレジットする。これがパクリと引用を分ける絶対的な違いだけれども。

コロナのずっと前からネットで情報発信をしていますが、僕がいつも心がけていることがあります。それは、僕の記事を読んでくれる人に、言葉と論理を提供することです。
「ワクチンを打て」と言われて困った。どうすればいいだろう?僕の記事を読んでください。対処法が書いてあります
「友達がコロナ脳で困ってる。どう説得しようかな」やはり、僕の記事を参考にしてください
「抗癌剤治療を受けようか受けまいか、迷ってる。先生、どう思いますか」すでに過去記事に僕の考えがあります
僕の考え方、ものの見方。全然パクっていただいてけっこうです。あなたの「困ったとき」に、ぜひ生かしてください。それこそ僕の本望です。
そのとき「ナカムラクリニックの記事で読んだんだけど」みたいな前置きはもちろん不要です。「百年前からの私の意見ですけど」という顔をして、堂々と僕の言葉を使ってください(笑)

ただ、そこにお金が発生しているとすれば、それは勘弁してください。たとえば、僕のnote記事のうち、コロナ関係のものを集めて、適宜文章を修正すれば、それで簡単に一冊の本ができると思う。あるいは、ゲルマニウム関係の記事だけを集めても、十分読み応えのある本になるだろう。
そういうふうにしてお金儲けの道具にするのはやめてください。唯一禁忌があるとすれば、これだけです。


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最近、高橋徳先生が本を出版された。
さっそく読んでみて、驚いた。なんというか、これは半分“僕の本”ですね(笑)
以下、左が徳先生の本、右が僕の記事です。

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実は、この本の出版前に徳先生から僕に連絡がありました。

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フルボ酸(フミン酸)のあたりの記述だけは中村先生の記事を参考にさせてもらっている、との旨でした。
ところが、いざ本を読んでみると、全然それだけではありません。ほとんど、僕の過去記事をつぎはぎして作った本、と言ったほうが近いのではないでしょうか。
話が違う、と思いました。残念です。
ヒカルランドさん、徳先生にではなく僕に出版の話を持って来てくれればよかったのに(笑)

一方、変な話ですが、うれしい気持ちもあります。ウィスコンシン医科大学の名誉教授が、こんなにたくさん僕の言葉を使ってくれたんです。僕を認めてくれたということでしょう。実に名誉なことです。この本が多くの人に届いて欲しいと思います。

ただ、僕が一番引っかかるのは、この本の出版により、お金が発生していることです。何部売れるのか分かりませんが、徳先生には相応の印税が入ります。ちょっとそれは、、、という気持ちがあります。
徳先生には、できれば印税の一部をコロナワクチン被害者駆け込み寺に寄付して欲しい。本全体に占める僕の記述の割合(50%とか)くらいを寄付していただけると、うれしいです。

困っている誰かに言葉を供給する。そういうためにこそ僕は情報を発信したい。誰かの私腹を肥やすために僕の文章が使われるとしたら、それは、ちょっと耐えられない。