ASKAライブ in 姫路

先週、ASKAと電話で話す機会があった。そう、チャゲアスのあのASKAである。
有名人の話をするときは、敬称や親称をつけず呼び捨てで呼ぶことがむしろ敬意である。たとえば僕が「徳川家康さん」とか「ビートたけしさん」などと言えば違和感があるだろう。個人的な知り合いなら別だけれども、誰もが知る有名人を「さん」付けで呼ぶことは、相手を自分と対等の位置に並べることになるから、かえって失礼にあたる。しかしあるきっかけから、光栄にもASKAとお近づきになった。そこで、以下、失礼ながら「ASKAさん」と表記することをお許し願いたい。

電話で初めて話したとき、当然、胸が高鳴った。僕を含む年齢層(だいたい40代前半~50代半ば)は、チャゲアスの直撃世代である。『SAY YES』『YAH YAH YAH』などが爆発的にヒットして、僕らの世代でチャゲアスのメロディーを聞かなかった人はいない。30年前、僕が自分のお小遣いで初めて買ったCDはB‘zだったけど、それから間もなくチャゲアスのCDを買った。なけなしの小遣いを工面して買ったCDのことは、今でも忘れない。
ライブに行ったりファンクラブに入ったりというような熱心なファンではなかったけれども、中学時代に受けたチャゲアスの印象があまりにも強烈で、その余波が10年経っても20年経っても消えない。どの世代の人にもそういうミュージシャンがいるのではありませんか?その時代を象徴するような、強烈なアイコンとしてのミュージシャンが。
20年ほど前にある女性と遠距離恋愛していたことがある。金曜日の夜に夜行バスで東京に行き、週末を共に過ごし、日曜の夜にまたバスで戻る。たまたま会う日に雨が多かったから、「雨女やな」「あなたが雨男なんじゃないの?」なんて笑いあっていたものだけど、そんな経緯もあって、僕らのテーマソングは『はじまりはいつも雨』になった。関係は2年ほどで終わったけれど、この曲への愛着は消えない。多分、一生消えない。


ASKAさんとの電話。もちろん緊張する。ただ、ASKAさんに「有名人だから緊張している」などと思われたくはなかった。心が今よりもっと敏感だった若い頃に、強烈な印象を受けた人だから緊張しているんです。昔の恋愛を思い出したときに、当時の記憶を彩る旋律をくれたまさにその人だから緊張しているんです。
緊張のせいで、僕はほとんど一方的にまくしたてるように話したと思う。
「ASKAさんは谷川俊太郎をリスペクトしているとのことですね。僕もあの人の詩が大好きなんです。ASKAさんと谷川俊太郎の対談番組を見て、そこでASKAさんが『高校生のときから自分は必ず売れると思っていた。ただ、継続して売れるには言葉を大切にしないといけない。言葉の大切さは谷川さんから学んだ』という意味のことを言っていて、驚きました。作詞の核心を惜しげもなく種明かししておられたので。さらに『音楽は、最初は70%はメロディーの力。30%は詞の力なんだけど、時間が経つごとにこの比率が変わってくる。良い詞を歌ったものは長く残る。人を振り向かせるのはメロディー。振り向かせた人を掴んでいくのは詞だと思っている』と言われてて、ハッとしました。たとえば僕は『はじまりはいつも雨』が好きで、好き過ぎて、多分千回以上聞いてると思います(笑)最初は『きれいな音楽だな』から入って、今、この曲が好きなのは、メロディーのきれいさももちろんありますが、やっぱり詞ですね。この曲は言葉の力がすごいんだと思います。
古舘伊知郎との対談で、『ヒット曲は名刺だからちゃんとやらなきゃいけない』って言われてました。実は4月2日、姫路で行われるライブを見に行きます。楽しみにしています。
ASKAさんが剣道をやっているのは不思議な感じです。高校時代に剣道の北海道代表でインターハイにも出たことがあると。竹刀持たせたら最強だし、マイク持たせても別の意味で最強って、すごくないですか?(笑)アーティストであると同時に格闘家でもあるという、その幅の広さがすごいなと思っていて」
人の命は有限だけど、才能のある人が生み出した芸術はその人の死後も残る。ASKAさんも人間で、いつかはこの世から消えていくけれど、『はじまりはいつも雨』はASKAさんの寿命よりもはるかに長いような気がする。時代を超える作品を生み出したその本人に、「この曲が好きで好きで仕方ない」と伝えることができた。こんなにすばらしいことってない。たとえばゲーテの小説を読んで感動しても、ゲーテにファンレターを書くことはできない。作者本人に思いを伝えられるというのは、同時代に生きる人にだけ与えられた特権なんです。
言うまでもないことだけど、ASKAさんとの電話に備えて「予習」をしたわけではない。細かい経緯は伏せるけれども、上記の会話は、ASKAさんから僕のケータイにいきなり電話がかかってきたことから始まった。だから、ASKAさんのご機嫌をとるための「予習」なんてする余裕はない。僕はASKAさんが本当に好きで、それでたまたま谷川俊太郎や古舘伊知郎との対談を見ていたんです。でもそれが生きた。ASKAさんに僕の気持ちが伝わった。今日のライブの開演直前、ASKAさんからメールがあって、「受付で関係者出入口のスタッフに名前を伝えてください。ライブ終了後、楽屋でお会いしましょう」これには飛び上がってしまった。
改めて言うまでもなく、ライブは素晴らしかった。新曲と古い曲が混じり合った曲の並びで、新しいファンも昔からのファンも飽きさせない構成だった。曲と曲の合間に、ときどきASKAさんのトークが入る。これがまったく飾らない感じで、ファンにはうれしい。ちょっとしたイレギュラーもあった。ASKAさんが「姫路でのライブは20年ぶりです」と言ったとき、その「姫路」の発音が、標準語を話す人にありがちなイントネーションだった。たとえば、「アメリ」という映画があったけど、「アメリ」と言うイントネーションで「姫路」と言う。標準語圏の人はこういうふうに言うことが多いものだけど、姫路あるいは関西では、キノコの「しめじ」と言う要領で「姫路」と言う。そこで、ASKAさんの「姫路」の発音が標準語圏のものであったことから、客席から「姫路(「アメリ」)じゃなくて姫路(「しめじ」)!」という声が飛んだ。「ああ、ごめん。姫路、って言うんだね」と訂正して、客席が湧いた。

ライブ終了後、楽屋にお邪魔して、初めてASKAさんと対面した。ツイッターをしている人はご存じのように、ASKAさんはコロナ関係のことを驚くほど理解している。あのワクチンでどういう悲劇が起こったのか(あるいは今後起こるのか)ということについても、深く懸念している。僕が「コロナは終わったとしてもワクチン後遺症は終わらない。むしろこれからですね」と言うと、ASKAさん、頷いて「多くの人が亡くなる可能性がある。今からでもできることをやらないといけない」すでにイベルメクチンについては、ツイッターでASKAさんも公言しているけれども、他にも二つ、切り札があることを教えてくれた。この二つ、僕もうわさでは聞いたことはあったけど、まだ臨床で使ったことはない。ワクチン後遺症の患者にぜひ使ってみたいと思った。