踊ることに関してなんでしょうね、きっと

推すことの次にわたしを構成していると言っても過言ではないもの。それは踊ることである。
(もしかしたら食の次かもだけど、いかんせん食で書くことはおすすめのお店くらいしかないからね。)
最近ちょっとしたことがあって思い出してみるか〜ってことで思い出してつらつら書いてみた
note第二弾でございます。
バレエ始めたとこからその最近あったちょっとしたこととこれからかな?文字化することで思い出に浸るのと気持ちを軽減するのを目的としている超自己満字数制限なしツイートですどうぞ

保育園からの幼なじみのお姉ちゃんが本の中でしか見たことないお姫様みたいに可愛い衣装を着てとてもとてもキラキラしていた。見惚れたあの時を今でもしっかり覚えている。7歳の誕生日前日に初めてバレエのレッスンに行って、初めてバレエのシューズを履いて、初めて鏡の前のバーに立った。わくわくとどきどきで鏡の中の自分を見つめたのもはっきり覚えている。それから増えてくレオタード、白タイツ、お団子編み、アメピン、、、全部がラブベリのカードのスペシャルアイテムくらい輝いてた。
そんなよくあるようなないような話でバレエを始めることとなったきさとちゃんは、中学受験で一旦休むまではちゃんと水泳とピアノ(少しの間ソロバンもやってたこと思い出した懐かし)と両立しながら、踊ってたとおもう
この頃はバレエでできることが増えるだけで楽しかったし仲良いスタジオの子と踊るのも好きだったな


中学入学
そしてパンフレットで見て憧れてたダンスクラブにすぐに入ることに決めた。先輩みんな上手で格好良かったし、ここでただバレエやってただけじゃ勝てないものがあると実感することの1回目となりました。
そしてそんなバレエは周りの子どんどん減ってって、クラブのが楽しかったからちょっと遠ざかるようになったね〜
ダンス部では練習も発表の場もずっと楽しくて
特にバレエの発表会とか友達呼んだことほぼなかったから、ダンス部じゃない子に発表見に来てもらった時本当に新たな幸せを見つけた感じがした。
あとねこれはダンス部で超嬉しかったことの一つなんだけど、こっこに「きさちゃん1年生の頃から上手だったよね〜ほら、海賊の時から2列目だったじゃん?やっぱ上手いからな〜て思って見てた」て言ってもらったの。こっこのこと体軟らかくて細かいとこまで美しいばけもん上手な子(なんなら今年のうちのサークルのライブゲストで出演してほしい)だと思ってるから、今でも嬉しくて覚えてるもん
それからこっことはるちゃんとflyersの雲からパートの振付したこと。私それまで全然振付とかしたことなかったから手探り手探りだったんだけど、2人との振付楽しくてえーいいじゃん!とか言いながらやったのめちゃめちゃ覚えてる。なんなら今でもそこは踊れるよ〜ピースピース✌︎flyers曲も知らんかったし最初チアか…って感じだったけど、結局楽しいで溢れてたね
そんでスパイラル。板付でえれんちゃんの上に私が乗ると言われた時は正直こいつ正気か?!なんでやねんもっと小さい子おるやんって思ったりしたけど、今思えばというか割と途中からめちゃめちゃありがたい機会だなぁて感じた。勉強パート(?)も4つの塊も好きだったけど、あと挙げるなら荒川との二人組ですね。なんか振付したかとかなんであの振りになったかとか詳しい経緯は覚えてないんだけど、なみ先生の前で荒川とサビ前の二人組の振付発表したのめちゃめちゃ覚えてる。

大学でのとか今の話したかったのに中学大分書いちゃった、想定外
思い出すと楽しかったこと嬉しかったことあるもんだねぇと実感。やっぱりわたし昔からダンス好きなんですね!!!!ってことで高校も振り替えろ〜お〜〜

高校進学
中学でより一層ダンスが好きになったため高校でも踊る気満々だった4月。中学の時から格好良く見えた高校ダンス部への入部。どれだけ楽しみだったかていう話しですよね、ええ
まあそれは全授業睡眠という障害の発生で呆気なく諦めることになるんですけども
けど、今だから言えるのはダンス部入らなくてよかったていうこと。ダンス部が良くなかったとかでは全くなく、まじで入ってたら大学行けてなかったと思う。
そんな安パイの道へ進んだ当時は、超悔しかったしこんなもんなんか〜って自分がめちゃめちゃ嫌だった。諦めたくないけど諦めざるを得ないの代表って感じ?それくらいダンス部への憧れは強かった
そして高校では中学まで通ってたバレエスクールを辞めて、親が行ってたジムに併設されてたとこで習った。本当に衰えないように、くらいでしか行ってなかった。
高校で忘れちゃ行けないダンスでの思い出といったらリバティーですよ。1年生の時と3年生の時と2回立たせてもらったね感謝感謝
1年生の時のはまああまり美談にならないので置いといて(けど何故かわからんけど木山さんに体めちゃめちゃ軟らかいんだね〜って間接的に褒められたのはすごい印象的で覚えてる、ありがとうね)
3年でこっこと踊ったtake me to the top
一言で言うと、こっこがばけもんだった。
踊りのうまさも振付もレベルが違ったんだよね、こっこは本当に本当に上手ていう言葉の枠に留めたくないくらい上手だった
そんな人とまた一緒にでよって言った自分の浅はかさにびびったね。どんげアホなんやと
でも、高校生活最後の学祭だしやるなら優勝しか興味なかったからとりあえず練習しまくった。こっことの練習は楽しいのはもちろんだし、自分の弱さに立ち向かうのすらやってやろうと思えるくらいのありがたいものだった。ずっと私は後回転ができなくて、でもこっこはずっと手伝ってくれて、1週間前とかでようやくできるようになったの
それまでずっとこっこ教えてくれたんよ?優しすぎん?
今まで沢山踊りが上手な人に出会ってきたけどやっぱこっこは別格です

やばい、こっこへの愛を綴る会になりそうだからここら辺にして今度遊ぶ時本人に言おーっと

2回目のリバティーは詰め込みたいことを全てやらせてもらったという感じだった。
踊りも、衣装も、コンセプトも
好きなようにやるっていうのの体現ていうくらい好きなようにやらせてもろたね。
受験生だったけど中途半端にしたくなかったし、良いものにしたかったからほぼ毎日練習して
部活って訳じゃ全くなかったから練習場所が絶対に確保できるわけでもなく、時間と場所を見つけてはやってたね〜その分生徒会もクラスも行けなかったのは申し訳なさもあったけど
その分、リバティーに出たからこそ体験できたものも沢山あったからやっぱりやってよかったって思う。
チーム発表時の全く知らない子からの応援、本番中のお客さんからの熱と歓声、舞台上で見た景色とこっこの踊る姿、沢山練習したから自分のものにできた振付、結果発表での期待と緊張、全部弾けた前夜祭
今でもとてもかけがえのないものになってるし、こっことリバティーで優勝できたことは誇りでしかないです。
(今だから言えるんだけど、やっぱり結果発表の時はすっごい怖かった。生徒会にもクラスにもこっこにも多少なりとも迷惑かけてた訳だから。だから優勝でスリジャヤワルダナプラコッテて呼ばれたとき喜びと同じくらい安堵が押し寄せたよね、あぁこれで一応合わせる顔があるなぁって)


と、まあ陰キャコミュ障の数少ない青春キラキラストーリーに幕を下ろしてそっからはずっと受験勉強をちゃんとして
かといって第一志望だった一橋には届くわけもなく、今の大学のサークルにたどり着く訳でございます

こっから大学のこと書くとか私正気か??前説が前説じゃない長さなんだが??
こんなに文字書くの統計のレポート以来すぎて自分でもびっくりしてる
言うとくけどこっからやっと本題に入るくらいなんで、前回に引き続き疲れた方はここでスマホの電源落として〜戻るとしたらタイミングは今やで〜

はい、では現在私が所属するflowでのこと書いてこかね
リバティーで再びダンスの楽しさに気付かされてから大学に入ったら絶対絶対ダンスをやろうと決めていた。12月くらいからお茶大のパンフ見ながら、ここに受かってジャズダンスサークルに入るんだ〜ってめちゃめちゃ想像してた
あれ、中学入試の時と一緒じゃん、、デジャヴ、、やっぱ人間そんな変わんないもんだね
そして入学式の次の日かな?偉大で最も尊敬する副コーチの方に「今入れば入会番号1番だよ入りな!!」て背中押してもらって入会書に名前を書いて大学でのダンス生活が始まった(それを覚えてもらってるみたいで嬉しい)
いやあのね、最初の方に気づいたけど
同期みんな上手なのよ、びっくりした
大学受験終わった後こんな動ける?!っていうくらいみーーんな上手
GW合宿の時みんなになめられないようになめられないように…って気張ってたもん、うけるね
とそんなこんなでダンス復帰した1年生のライブでは
・大好きな暗め
…15人中18期3人という先輩ばっかとで緊張したけど楽しかったし2人の同期とめちゃ仲良くなれて幸せだった
・挑戦の速ジャズ
…初めて伸びる系以外のダンス(伝われ)やって難しかったけど沢山褒めてもらえた、振付者さん大好きがすぎる
・黒歴史のスロー
…衣装似合わなすぎて草案件すぎた〜〜〜今でもあんまり思い出したくない
という感じで久しぶりに人前で踊ったのだけど
やっぱ照明があってお客さんがいる舞台っていいなと常々思ったし、今までバレエっていう型にはまった動きしかしてこなかった私にとって沢山のジャンルの踊りに触れれたことは新鮮で面白かった。動きも音も衣装も舞台で表現できる幅が一気に広がった感じがした。

flowでのダンスにまつわる思い出なんて書き出したらキリないからとりま2回目のライブのこと
あのねー、
ほんっっっっっっっとうに楽しかった
インターンもしたから結構大変は大変だったんだけどそれを上回るくらい楽しかった記憶しかない。
Mの練習も、係の仕事も、コマ練とコマ練の空き時間もずーーーーーーーーっと楽しかった
2年生になったからていうのがあってか個人振りとか良い立ち位置とか貰えるようになったのも大変ありがたいことだったね。それと振り付け者さんとの距離も縮まったし、2年目での慣れもあったしでコマ練に良い意味でリラックスして取り組めてた気がする。
・爽やかジャズスロー
メンバー発表のとき爽やかとかけ離れてる私が呼ばれてビビったし踊り方めちゃ悩んだけど、青春〜って感じの曲でのスローは踊るのの糧になった
・激ジャズ
はい好き〜〜〜という振り付け、世界観も衣装も全部すこすぎだった。この技似合うから絶対やってほしい!と振付者さんに言われた光栄でしたね
・2年M
可愛くてお茶目で自慢のナンバー、振付の副コーチ大天才すぎる。ショー要素あってハードル高いと思うとこもあったけどそれ以上に楽しかった
・ヒップポップ
大好きで尊敬する先輩のM、ずっと出たい言うてたから念願叶った!初めてのことだらけすぎて難しかったけど沢山教えてもらえてノリ少しは上手になれたと信じてる
・挑戦
出れるの嬉しかった、本当に。お盆ずっとコソ練したな〜考えるのが必要な振りで上手いメンツばっかだったから毎練習で刺激沢山もらえた(衣装泣きながら作った)
・テクニカルジャズ
振付者さんからM出演お誘いのライン来た時池袋のハンズの前でスキップしちゃったくらい嬉しかった、マリオ楽しかったし一杯褒めてもらえて幸せだった
・エモジャズ
めちゃ良い立ち位置を頂いて期待してもらってる分、周りも上手だったからプレッシャーだったなぁ。手袋衣装であって性癖にささりまくった
オープ、参加M、フィナーレ除くとこんなか。こう見ると出演増えてるね〜〜今年はどうなることやら
(今年は振り付けと2部の演出やります!!!!今ライブのテーマみんなで決めてるんだ〜絶対面白いものを創るので絶対来てね、9月6日はflow LIVEだよ
っていう宣伝)

さて、やっと今のことについて書けます。長かったね〜
只今何の活動をしておりますかというと、なーーーんにもしてないです
正しく言うと何もかもなくなりました、が正しいかな?
10サークル合同α公演、4年生追い出しスプリングライブ、新体制お披露目
活動自粛が命じられて何もかも中止となりました。
スプリングのナンバーは新歓ライブで踊れるし、新体制も機会設けようと思ったら設けられるから置いといて
α公演がなくなったのは本当に本当に悲しかった。
α公演ぎりぎりまで出るか迷ってて、考えて、相談して、考えて、それでもやっぱり出たいって思っての出演だったから去年より本気だったし去年より必死だった。
だからその分なくなるのがしんどかった。
嘘だと言って欲しかったし、延期での開催をずっと願ってた。大好きな先生の大好きなジャンルの大好きな振付で、せっかく他サーの子とも仲良くなれて、立ち位置も付き出して、衣装も揃い出して、さてここから仕上げるぞって時だった。とても素敵な振りと、とても素敵な構成と、とても素敵な仲間に恵まれた。私がその先生のナンバーとオーディションにしか出ないっていうお情けかもだけど、最後舞台上で1人の無音のソロももらってた。
















でも、もう全部ないんだ。






練習してきたことを無駄だとは全く思わないし、この公演の練習に出なければ会わなかった人も沢山いる。ラスサビではいってた技もできるようになった。興味本位でやってたオープンジャンプも舞台でできることになって嬉しかった。沢山上手な人に会ってもっと上手になりたいとも思えた。一回一回の練習自体もとても楽しくて、振り入れ遅い方だったけど全然苦じゃなかった。

だからこそ、作品を仕上げられなかったのが辛い。上手な人たちの中で自分もメンバーの1人として踊れなかったのが悔しい。大好きな先生に頂いた振りを踊れないのが悲しい。そして、見に来て欲しかったお客さんに見てもらえなかったのがやるせない。今でも公演延期にしてほしいくらいには心残りしかない。当たり前じゃん。
でたいし
踊りたいし
照明浴びたいし
見に来て良かったって言わせたい
じゃなかったら最初から出演してなくない????




はい、泣き言ばっかですね。
ここまで読んでる物好きさんはおらんと思うので無配慮で進めていきますけども(万が一いたらお疲れ様です…)
練習が全くない毎日はありがたいことに(?)充実しておりまして
まず蒲原家でスキー行ったでしょ〜そんで佐藤さんとのんさんと制服で牧場行ったし、バ先の人との飲み会があって、1週間も帰省して、
昨日なんかゼミの課題やって宅飲みしてそっから深夜カラオケ行ってまた友達んち帰るっていう(宅飲みも終電逃すのも初めてだった、わーいデビューだデビューだ)
なんとも大学生らしい!!自分で言うのもあれだけどめっちゃ大学生らしい春休みだな!!て思うもん
きっとダンスがない私の生活もきっと楽しかったんだろうなぁとしみじみ感じる。現に今結構かなり楽しいし
けど、ダンスがある私にとってダンスがない生活は何か物足りないんです。ダンスない生活して初めて知ったけど、本当に代わりがないんです。推し見ても、美味しいもの食べても、友達と遊んでも、実家帰っても、お部屋でぐうたらしても、ダンスの代わりとなるものがないんです。
うーん、すっごく分かりやすく言うとね
今どうしてもシュークリームが食べたいとするよ?
それなのに出されるのは、シフォンケーキとかパンケーキとかチョコケーキとかクッキーとか。シュークリームは全然出されないの
いや違う!!あたしが今食べたいのは他の何でもなくてシュークリームなんじゃ!!ってなるっしょ?
そういうこと。
ダンスから得られる楽しさはダンスでしか満たせない。
この論はなにもダンスに限ったことじゃないと思うけど、私の事例ではダンスになるんさ。そゆこと


こんなに書いてきたからお分かりだろうけど、私はまだα公演のナンバーが踊りたくて踊りたくて仕方がないです。最初の方はまあ延期なるやろ大丈夫大丈夫と思って耐えたけど、中止が伝えられてから本当にキツかったね
なんならまだキツいもん。2日に一編くらいあぁ本当にこれもう踊って披露する機会ないんだなぁっておセンチになってる。
それくらい、α公演大事だったんさ


うーん、いい感じに締めようと思ったけど良い締めの言葉を思いつかないのでもっかい宣伝しとこかね
*9月6日 13:00〜または17:00〜
*練馬区文化会館
私は振り付けと2部の演出やってます。2部はストーリーの構成が完成してちゃんと伝えたいこと伝えれるようにこれからナンバーやつなぎの本格的な作成をしていきます。私が作るナンバーはまだジャンルも曲も決まってないのですがお客さんの感情に触れれるようなものを作ろうと思ってます。あと、私の代は同期がまじでみんなそれぞれダンスにいいとこがあって上手なので見る価値しかないと思う。是非足を運んで頂けると嬉しいです。


よし、最後に
私のダンスを過去見てくれたことがある人へ(こんな拙い文章に目通されてないと思うけど書きたいから書く)
私のダンスを見にきてくれてありがとうございます。
これは私の勝手な意見なんですけど
特にサークルでの発表っていう内部的な性質をもつ所でお客さんを呼ぶことの意義って、半分は踊り手が幸せを得るためだと思うんです。
だから私に幸せを与えてくれて本当にありがとうございます。お客さん、それも仲良い子に輝いてる姿(当社比)を見てもらえるのは嬉しいことなんです。その上客だしの時とかラインとかでお褒めのお言葉もらった時なんか、もうね心の中嬉しさと幸せを感謝と感動で竜巻起きそうなくらいなの。本当に感謝で一杯です。
先程半分は踊り手が幸せを得るためだと言いましたが、半分はもちろん踊り手がお客さんを幸せにする分です。これは断定させてもらう、仮にも踊り手の端くれなので
私は基本出させてもらってる舞台は良いものだと思ってお招きしているので、この半分も達成できていることが多いと思ってるんだけどどうなんだろう?みんな良かったって言ってくれるし達成できてるってことにしとこ
また今度の舞台も絶対楽しませるのでいい塩梅で期待してくれたらとっても嬉しいな〜
これからも飽きるまで(今んとこその予定はないけど!)踊っていくのでご声援の程宜しくお願いします。

























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