そんな存在に

洋楽を聴いていて、英語の意味はわからないが、なんだか心にぐっとくる曲がある。

歌詞要約

今まで読んできた本の中には
活躍する英雄やスーパーヒーローが描かれていた
何の能力も無いは、そこに登場することはない

でも山本は言うんだ
「あなたは何を目指しているんですか
 どれだけの危険を冒すつもりですか
 僕が探してるのは特別な力を持った人じゃない
 スーパーヒーローじゃなくて
 おとぎ話にあるような幸せでもなく
 ただ寄り添ったり、キスできる存在
 僕はそんな存在を求めてる
 そんな存在を求めてるんです」

ああ俺は、山本にとっての、そんな存在になりたいな

はあ~~~…。

刺さる…。なんかぐっとくる曲の歌詞調べると刺さる…。
全然何言ってっか分かんねえのに…。


どこから始まったんだろうな。
どこから始まるんだろう。
こういう、理想に囚われる人生ってのは。

まあなんとなく分かる。
子どもの頃、スゴい奴に憧れて、でも成長するにつれて自分の能力の限界を知って。
この、自分自身の限界を受け入れた時、それが大人になるってことだ。
っていう流れ。見たことある。
だから無謀だったり、向こう見ずは子どもっぽいと憚られるんだ。
可能性の塊なのが子ども。
自分には出来ないこともある、と知っているのが大人。
これは諦めじゃない。受け入れる、受容するってこと。自己受容

俺は、自分の能力を何も知らずに大人の姿になった。
俺に出来ることと出来ないことの区別がつかないまま、出来ないことをやるしかなかった。

誰が、出来ないことをしろと俺に期待したんだろう。
俺に不可能を期待するのは誰だろう。
俺にスーパーヒーローであることを期待するのは誰だ。
特別な能力が必要だったのは誰なんだ。
全部俺だったわ。俺が俺に。重い期待をしていたのは俺。

俺がそうだからと、人もそうだと言うことはないが、
それでも俺も、特別な人は求めてない。
スーパーヒーローじゃなくて、
おとぎ話にあるような幸せでもなく、
ただ寄り添ったり、キスできる存在、
俺はそんな存在を求めてる。
ああでもまあ…従順で俺の思い通りになる人を求めてるかな。
あとちょっと恥ずかしいことさせてくれる人を求めてる。
羞恥が気持ちいいっていう人。そういうむっつりドスケベ
新しい世界知りたいだろ?自分を解放したいだろ???
俺が解放してやるよ。そういう人を求めてるよ。

いい歌詞が台無し。

俺がこうやって人に対して高い理想を課してるから、
俺自身にも高い理想を課すんだろうな。
でもそんな高い理想とは思ってないいるだろ、と思う。
山本みたいな、そういう人は。

っていうかこれ違うな。
これは人に対する高い理想を抱いてるんじゃなくて、俺の対人関係の乏しさを表してるんだろうな。
理想だけが肥大化してるんだ。

俺自身の現実と理想、非現実については分かった。
ここでやってきた自己分析で、自分の限界を知った。
俺はENTJのタイプ8だ、という認識の話だ。
俺が不得意なのは、人との協調と、自分の感情と向き合うこと。
あるいは、合理的思考。どっちが極端に稚拙なのかは分からない。
主観的には、協調性と感情との向き合いが欠けてると思う。
倫理意識も稚拙だと認識してる。
そう決められてるんだから守れよ、っていうだけの倫理観。
後から知ったが、善人へのコンプレックスも典型的な特徴だった。
でもじゃあ逆に、客観的に見て、上記タイプの得意な合理的思考が出来てるのか、ってのは分からない。
人のフィードバックをもらったことがないから。
診断の結果では毎回、満点に近いくらい合理的だと出るが、それが逆に極端で稚拙と言えなくもない。
性格検査が自認だけで使えるツールなら俺は合理的な奴になるが、それがただ理想に突っ走ってる可能性もあるから何とも言えない。
ただ、フィードバックをもらえるとして、俺は他人に合理的思考を披露しない。自分自身を見せない。そんな自分は受け入れられないと思ってるから。
だから難しいんだよな。主観的な認識と、客観的なフィードバックをすり合わせるのって。
人からみた現実の俺は、まず間違いなく、俺自身とは真逆な、のんびりした縁の下の力持ちだろうよ。

あと、俺の理想っていうのが「協調性に優れた好人物」と「合理的な判断に優れたビジネスパーソン」のどっちもあるから厄介だ。
ただ、協調性を理想にするとそうならなきゃ、という焦りが出てくる。
対して合理的な方は、かっけえ…となるし、心地よくなる。俺はこっち、という認識もある。
これを考えると、やっぱ俺は合理的な方で、自認で合ってるとは思う。
でもまあ、これはどこまでも主観だからな。
っつって、フィードバックもらうつもりもないから、自分のタイプの確定はもういいかと思ってる。
金が…かかるから…高い金が…

話が逸れた。
対人関係の乏しさと、理想の肥大化だ。
俺自身のことは分かってるから、さっきの歌詞が刺さったんだ。
俺は何を目指してたんだろう、何でも出来るスーパーヒーローになりたかったのか?って自問自答出来た。それで救われた。
ただ、対人関係は、無いから、俺は未だ、俺を救ってくれる山本を求めてる。
人への理想は終わらない。変わらない。俺は山本がいい。

職場の事務室の雰囲気に馴染めず、一人で逃げていった食堂に山本が来て、
俺は「俺と一緒にいない方がいいよ」と言うが、
「え…何で駄目なんですか」
「山本がいいならいいよ」
「あ、じゃあ隣座りますね」
こうなる場面を妄想してる。
集団に属したい山本が、それでも孤立してる俺を選ぶのを望んでる。
俺は山本に救われたい。山本がいれば、俺は救われる。
俺の存在理由になる。山本がいるから、俺がいる。

って思ってたのがちょっと前までの俺で、
もう今は、俺の存在理由は俺が決められる。
山本がいないなら俺のいる意味はない、なんてことはない。
山本はいないけど、俺は生きているから。
山本がいないから俺は救われない、なんてことはない。
山本はいないけど、今日も俺は、平穏無事に過ごせたから。

 僕が探してるのは特別な力を持った人じゃない
 スーパーヒーローじゃなくて
 おとぎ話にあるような幸せでもなく
 ただ寄り添ったり、キスできる存在
 僕はそんな存在を求めてる

そんな存在になりたいな。
俺も山本にとっての、そんな存在になりたい。

台無しにした歌詞をなんとかいい方向に持っていって終了。