罪のない者だけが石を投げなさい。

人は罪を犯すものである。
そのため、自分の正しさを根拠に、人を裁く資格や権利を持つ者はいない。

この言葉をみて、俺は罪なんて犯したことなくね…?と思う。
あるか?

行動ではなく、その動機が個人を作る。
罪を犯さない動機は色々あるが、
俺は石を投げる権利を得るために悪行をしない。
犯罪なんて百害あって一利無しだ。
簡単に思いつく犯罪は、盗み、不正、暴行。
普通にしたことない。っていうか普通やんない。
だから俺は石を投げられる。
石を投げられない人は、何を犯したのか気になる。

「犯罪じゃなきゃ何をやってもいいと思ってる?」
という言葉もよく聞く。
俺はいいと思ってる。
この質問をする人は、どんな答えを想定しているんだろう。
犯罪じゃないけどやってはならないこと、があるんだろうか。
例えばどんなものだ。
また、この質問に「そういうわけじゃないけど」と返す人を俺は理解できない。
そういうわけじゃないなら何なんだ。
何を想定しているんだろう。

まず国を律するための憲法があって、憲法を守るために国民に設定されるのが法律で、それ以外守る必要があるのか。


やましいことなど何一つ無いから俺は石を投げられるが、そういう場面があったとしても、投げはしないだろうと思う。
その権利を持っているだけで満足だからだ。
あと、石を投げつければ俺は罪人になる。
後ろめたさ、やましさが生まれる。
この人生で二度と石を投げられなくなる。それは絶対嫌だ。
[権利が消失しました] ってメッセージが出てくる。怖すぎる。

人は罪を犯すものである。
そのため、自分の正しさを根拠に、人を裁く資格や権利を持つ者はいない。

あとはまあ、人は罪を犯すものである。これがすげえわかる。
人は窮地に陥れば簡単に倫理道徳を捨て去る。俺は捨てねえけど
自分の正しさを根拠に人を裁く資格や権利がない、というのもわかる。
俺は俺、人は人だ。犯罪じゃなきゃ何やってもいいと思うし。

罪を犯さない動機。
石を投げられる時、どうする?それは何故?
ということで自己分析を行ったが、人によって全く違うんだろうな。
やっぱ、罪を犯さない(犯していない)という行動ではなく、その動機が、個人を知る上で重要だと思った。