嫌い2

俺自身を責める。これが問題である。

俺の態度が悪いんだろう、俺が気に入られていないんだろう。
そう思って生きてきた。
そう思った俺が、自分を責めて自分自身でいることをやめた。
自責、他責ということではない。
自分自身でいることをやめた。ここが問題である。

奴のお気に入りのあいつはよく笑う。色んなことに興味を持つ。
色んな人に話しかけて、色んな情報を持っている。
色んな人と仲がいい。愛嬌がある。何をやっても許される。
俺もこうなろうとした。無理である。


俺は俺自身をよくわかっていなかった。
だから、嫌いな奴に認めてもらうために、奴のお気に入りのあいつになろうとした。
あいつに劣等感を抱いた。

自分がわかっていれば、他人になろうとは思わない。
他人に劣等感を抱かない。

桜には桜の良さがある。
薔薇には薔薇の。それぞれの良さがある。

自分を桜だとわかっていれば、薔薇のように赤くなれないのは何故かと悩まない。
自分を赤い薔薇だとわかっていれば、青い薔薇に劣等感を抱かない。

俺がしていたことはそういうことである。

自分が赤い薔薇だとわかっていて、赤い薔薇である自分の良さに気づいていれば、
青い薔薇を素晴らしいと言う奴に取り入ろうとしない。
桜が好きだという奴に合わせて桜のようになりたいなどと思わない。
赤い薔薇のままで良いのだと思える。
赤い薔薇のままで、その良さを感じられる。


「あいつ嫌いだわ、好き嫌いで評価変えるから。ちょっとイラついた」
「そんなことがあったんですね」
今まで生きてきた中で、少しでもこういう会話があれば、今とは全く違った俺になっていた。

素直に感じたことを言って、それを肯定してくれる人がいれば、違っていた。
俺に愛という情熱をくれる人が一人でもいれば、こうはなっていなかった。
「あいつ嫌いだわ」という俺になっていた。
「あいつ頭おかしいんじゃねえのか」という俺にはなっていなかった。

俺の態度が悪いんだろう、俺が気に入られていないんだろう、
なんて思わずに生きてこれた。
俺の態度を変えよう、俺が気に入られよう、
なんてことはしなかった。

これは他責や自責という話ではない。
ビジネスや教養の話ではない。
もっと根本的な話である。
俺は最初からつまづいている。
他責自責、教養、人格はもっとあとの話だ。
俺は根本から満たされていない。
帰属欲求を満たしていない。
満たされていれば、こんなにフラフラしていない。
自分自身でいたことがない。
たまに人から認められればそれは、そいつ用に作った俺である。
いつだって現実では自己不在である。
いつだって現実では不快である。
俺は誰も彼も嫌いだった。好きな人などいなかった。誰もが嫌いだった。不快になった。
誰もが嫌いだったが、そういう奴らから好かれようとして、敵意を隠した。


俺が好きな人は、弱そうで、実際弱くて、内気で恥ずかしがり屋で控えめで、行動力がなく、優柔不断で、責任を負うことから逃げて、誰かの決定に従いたくて、それでも人の役に立ちたくて、人から認められたくて、自分を解放したがっているがそこは無自覚なむっつりスケベ、の山本である。
俺の好きな山本はそういう人である。

嫌いなのは、俺の価値観から外れる人である。
俺を不快にさせる奴である。
俺の言うことを肯定しない奴は嫌いである。
嫌いだ。こういうことを思わないできた。
だが俺は、俺を肯定しない奴は不快だから嫌いだ。
一緒にいて不快だから嫌い。
「あいつ嫌いだわ」
「そういうの良くないよ」「嫌いっていうとどんどん嫌いになるよ」
こういうのが嫌い。
なんで俺の嫌いは駄目で、お前らの嫌いは良いのか、俺には分からない。
「そうすね、良くないすね」じゃない。
不快だ。お前ら嫌いだわ。

嫌いだ。
思ったより嫌いの方が多そうだ。
これから少しずつ、嫌いを感じていく。
そして好きも見つける。