第47話 復帰
スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
2012年7月17日。
ブラージュのモデル撮影の日。
今日がスィートブライドの実質的なスタートだ。
この3年間、僕は外部との接触を極力避け、穏やかに、ただ穏やかに過ごしてきた。そして家族の絆を痛感した歳月でもあった。
仕事に対する考え方は、180度変わったと言ってもいいだろう。今日はそんな僕のブライダル業界復帰一発目のモデル撮影会。
人生も仕事も目いっぱい楽しみたい!
今思うのはそれだけだった。
朝8時。
姫路駅に着くと、すでに椎名凛子、鷲尾響子、そしてモデルの茜さんは到着していてお互いに自己紹介をしているような光景が目に入った。
それはとても微笑ましい光景で、スウィートブライドの全てがそこにあるような気がした。
モデルの茜さんと会うのは僕もこの日が初めて。実際に会うと、可愛いという感じではなくて、大人の雰囲気のある素敵な女性だった。茜さんの隣で椎名凛子が『モデルさんバッチリだったね!』と言いたげな表情で僕を見ていた。
ブラージュではすでに本田さゆりが車から店内へ花の搬入をしている。中に入ると、手塚春彦がアシスタントを連れて機材の確認をしていた。
「おはようー!今日はよろしく!」
さぁいよいよスタートだ。
鷲尾響子と茜さんはヘアメイクに、僕と椎名凛子はチャペル会場の設営に入った。
「カラー、何とか九州から調達できたよ!」
そう言う本田さゆりの指さす方向には数十本のカラーが水につけてあった。台風の影響で当初イメージしてた太い茎のカラーは入荷できなかったが、充分すぎる代用のカラーであった。
とてもいい空気が漂っていた。
(プロフェッショナルないいチームだな・・・)
ほぼ全員が今日初めて顔を合わせて、初めての仕事なのに、すでに出来上がったチームのような空気を醸し出してる事に驚いた。
会場設営がほぼ完成したと同時に、茜さんが仕上がった。それはそれは美しくて、品があって、申し分のない花嫁モデル。僕は心の中でガッツポーズをとった。
「中道さん、茜さん最高!」
椎名凛子も興奮してはしゃいでいた。
すぐに饒舌な手塚春彦のしゃべりが始まり、一気に撮影に突入する。ドレスは撮影会の直前に1点追加して3点着る事になっていた。
まずはクラシックなAラインのウェディングドレスで、チャペル会場のバージンロードを歩くシーンから撮影スタート。手塚春彦がシャッターを切ると僕たちが手にしてるiPadに瞬時に画像が送られてくる。
「おぉぉぉ!」
写真の想像以上の素晴らしさにスタッフ皆から感嘆の声があがる。すでに興奮状態の椎名凛子は「最高!」「最高!」と連呼していた。
その後、スレンダーライン、プリンセスラインとドレスチェンジ、ヘアチェンジをして全てのシーンの撮影が終わる頃には陽が暮れようとしていた。
最後はチャペル会場でスタッフ全員の記念撮影。
納得できる素晴らしい撮影の一日になった。
僕は、これまでに体感した事の無い未来へ突き抜けるような自由な感覚にスウィートブライドの世界観が見えたような気がしていた。
(この人たちとならいい結婚式ができる!)
この撮影から数日後、僕と手塚春彦の2人で料理と店内スタッフの撮影を行い、ブラージュの全ての広告撮影は無事終了した。
あまりにもチームの空気が良かったので、僕はこのいい空気があるうちにスウィートブライドの広告撮影をする事に決めた。
撮影日は8月10日。場所は手塚春彦のフォトスタジオ。
モデルは茜さん、美容は鷲尾響子、ブーケは本田さゆり、写真は手塚春彦。そして僕と椎名凛子という今回と全く同じメンバーでする事になった。
もうすでに1ヶ月を切っていたが、このメンバーなら何とかするだろうと変な自信までついていた。
こうしてスウィートブライドは勢いよく動きだした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?